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精神科医・岡田尊司氏が著作で 星新一を「回避性パーソナリティ」と診断したことについて 2024年10月5日公開/2025年9月6日更新
星マリナ
経緯 本年(2024年)6月、朝日新聞のAERAdot.に〈星新一の人生に学ぶ「生きるのが面倒くさい人」の理想の働き方〉という記事が掲載されました。 精神科医である岡田尊司氏の著作『生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害』(2016年 朝日新書)を宣伝する記事でした。 星新一が回避性パーソナリティ障害(回避性人格障害)であるという岡田氏の診断を前面に押し出すことで、すでに4万部以上売れているという本書を、さらにたくさん売ることを目的としたものです。 朝日新聞出版に抗議をし、このネット記事はすぐに削除されましたが、星新一を無断で診断した書籍(紙および電子)は現在も市販されています。 このたび、刊行から時間のたっている本書を問題とし、見解を公表するにいたったのは、このような経緯によるものです。 診断の資料 本書巻末「参考文献」には、星新一の資料として、評伝『星新一 一〇〇一話をつくった人』(最相葉月著 2007年 新潮社)1冊が書かれています。 こちらからの問い合わせに対し、岡田氏より、星新一著『きまぐれ星のメモ』『人民は弱し 官吏は強し』『明治・父・アメリカ』も読んだという回答を得ていますが、『人民は弱し 官吏は強し』と『明治・父・アメリカ』には、星新一の話はいっさいなく、また本書に引用されている『きまぐれ星のメモ』(エッセイ集)の文章はすべて評伝での引用と同一箇所なので、参考資料は実際に評伝1冊であったことがわかります。 精神科医の倫理 岡田氏は、本人を診察することなく、家族や関係者への取材も独自の調査もなく、評伝を1冊読んだだけで、星新一が回避性パーソナリティ障害および自閉症スペクトラムであると診断し、自身の書籍で公表して利益を得ています。 2021年に日本精神神経学会が制定した「精神科医師の倫理綱領細則」には、以下のように書かれており、岡田氏の行為は精神科医として不適切であることがわかります。 精神科医師の倫理綱領細則 7-1 地位の乱用の禁止 精神科医師は、自らの専門的技能や地位を乱用しません。 例えば、診察の相手方に対して性的接触を図る行為や、診療上の利益や不利益と関係づけて研究参加を促す、などの行為は地位の乱用にあたり、不適切です。 また、精神科医師が、自ら診察を行うことなく、衆目を集める人や著名人の精神状態や人格について、本人の同意なしに公の場で精神医学的な論評することは、専門的技能と地位双方の乱用にあたり、不適切です。 (日本精神神経学会ウェブサイト掲載のPDFより引用) 本来の診断基準 回避性パーソナリティ障害というのは、自分に自信がなく、他人に批判されることを極度に恐れるために、人との関わりを避ける精神疾患です。 アメリカ精神医学会の定める診断基準7項目のうち4項目以上に当てはまり、そして、その状態が青年期からずっと続き、仕事や日常生活に支障をきたすほどにその傾向が著しい場合に、回避性パーソナリティ障害と診断されます。 『生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害』の中に、星新一が診断基準のどれに当てはまるのかの記述はありません。娘の私から見て、父が当てはまる項目はありません。 本人が苦しんでおらず、そして診断基準に当てはまるものがないのですから、どう考えてもパーソナリティ障害ではありません。 不適切とされている行為であり、さらには誤診であるということです。 星新一の日常 星新一が回避性パーソナリティでないことをご理解いただこうと、私が編集部に送った手紙の一部を、以下に引用します。 「パーソナリティ」であるなら、家族がそれをまったく感じとらないということはあり得ません。
父は毎日家で仕事をし、毎日家族で食事をしました。
家族旅行にもたくさん行きました。
私が父と過ごした時間は平均的な親子以上です。
毎日のように編集者から父に電話があり、そして来客がありました。
父はファンの集いに出かけ、作家のパーティーに出かけ、学生時代からの友人との交流も続けました。
星一の故郷や森鷗外記念館で講演をし、結婚式の仲人を引き受け、ショートショートコンテストで後輩作家を育てました。
NHKの連想ゲームには準レギュラーで出演していました。
雑誌のグラビア撮影に応じ、サントリーの広告にも出ました。
日本SF作家クラブでは初代会長をつとめ、お正月にはSF作家の新年会が毎年わが家でありました。
父が、対人関係を回避しなかった証拠はいくらでもあります。
それが父の日常です。 投影 本書は『生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害』というタイトルではありますが、回避性パーソナリティ障害の診断基準に「生きるのが面倒くさい」を意味するものはありません。 星新一が「生きるのが面倒くさい」と言ったわけでもありません。 本書「はじめに」を読むと、長いあいだ「生きるのが面倒くさい」と感じていたのは著者の岡田氏自身であったことがわかります。 この時点で、もはや何の話をしているのかわからなくなるのですが、これが精神分析用語でいうところのプロジェクション(自分のことを他人に投影する)というものなのでしょうか。 まるで星新一が「生きるのが面倒くさい」と考えていたかのような誤解を読者にあたえるのは、やめていただきたいです。 もっと長く生きたかったのに病気で亡くなってしまった星新一に対する冒涜です。 誇張されたエピソード 本書に、「幼い頃、新一は近所の子と遊ぶことも許されず、弟妹とさえかかわることは稀で、孤独に隔離された幼年時代を過ごした」と書かれていますが、事実ではありません。 小さな家に一緒に住んでいたのに隔離など不可能です。 このように岡田氏の記述は、全体として評伝の引き写しでありながら、ところどころに精神疾患につなげるための誇張や歪曲があるのです。 幼年時代の星新一が近所の子と遊ぶことを許されなかったと、評伝に書いてあるわけではないことは、岡田氏も朝日新聞出版も認めています。 幼少時に隔離されていたことが星新一の人格に影響をあたえたという話であるにも関わらず、隔離されていなくても回避性パーソナリティであるというのが、精神科医・岡田氏からの回答でした。 ![]() ![]() ![]() 名誉の毀損 何よりも遺族である私の感情を傷つけるのは、星新一が回避性パーソナリティ障害(推測/誤診)になったのは、母親の愛情が足りなかったことが原因であるかのように書かれていることです。 無断で著名人を診断すること自体が不適切であるのに、その原因をさらに推測で公表し、読者に対して、悪い母親であったかのような誤解をあたえることは、母・精(私の祖母)の名誉毀損と言えます。 母親への複雑な思い 全編を通して岡田氏の論理のパターンは、〈愛情が適切でない母親ならば、その子供は人格障害になったにちがいない〉および〈人格になんらかの問題のある人間がいたら、その母親は愛情が適切でなかったにちがいない〉であるように見えます。 私の家族は、そこにむりやり引き込まれたという印象です。 岡田氏の自伝『母親を失うということ』(2021年 光文社)を読んでみると、そこには自身の母親に対する岡田氏の複雑な思いが綴られていたのでした……。 森鷗外も 『生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害』には、「森鷗外の場合」という項もあり、岡田氏は、同じように評伝を1冊読んだだけで、森鷗外も回避性パーソナリティ障害だったという診断をしています。 私は、森鷗外の妹にして星新一の祖母である小金井喜美子の歌集を出版するときに、鷗外の家族についてくわしく調べました。 岡田氏が根拠としているエピソード(「頰かむりしてしまう」「逃げ回った」など)が誇張であることの証拠もあります。 森鷗外が回避性パーソナリティ障害である可能性もほぼゼロで、これも誤診と言えます。 ここでも岡田氏は、鷗外の母・峰子(私の高祖母)の愛情が適切でなかったことが鷗外の人格障害につながったことを示唆しており、なんと、ここでも私の先祖の名誉が毀損されていたのでした。 人格否定と利益追求 今年4月、プレジデント ウーマンのウェブサイトに本書の宣伝記事が掲載されました。 〈ベートーヴェン、森鷗外、井上靖…誰もが知る成功者たちの「イザという場面で逃げ出す」ダサすぎる一面〉というタイトルの記事で、森鷗外のページには「母親の言いなりの大文人」「現実を回避してしまう不甲斐なさ」という人格否定の見出しがならび、鷗外が障害に苦しんでいることをイメージしていると思われる写真が掲載されています。 このタイトルは、「精神疾患はダサい」と言っていることになります。 これでは障害に苦しむすべての人に対して失礼です。 重苦しいイメージの写真を掲載して読者へのインパクトを高め、そこに無関係な商品を売る広告を掲載して利益を得ているという事実に、私は背筋が凍る思いでした。 作家の人格障害(推測/誤診)をクリックベイトに使うのは、やめていただきたいです。>>プレジデント ウーマン掲載の宣伝記事は、本見解公開後に削除されました。(2024年11月26日追記) ちがうタイトルで、上述の写真のない同じ文章が、文春オンラインに転載されています。 〈「生きるのが面倒くさい」「イザという時逃げ出す」ベートーヴェン、森鷗外、井上靖…誰もが知る成功者たちにある“回避性傾向”〉 >>文春オンライン転載の宣伝記事は、本見解公開後に削除されました。(2024年11月21日追記) 岡田氏に回避性と診断された著名人 本書において、岡田氏が回避性であるとして名前を出している著名人は、星新一、森鷗外のほかに11名います。 エリック・ホッファー(社会哲学者)、井上靖(作家)、サマセット・モーム(作家)、藤子・F・不二雄(漫画家)、村上春樹(作家)、スタンリー・ボールドウィン(イギリス首相/社会不安障害)、ベートーヴェン(作曲家/恐れ・回避性愛着スタイル)、西行(僧侶)、ブラームス(作曲家)、ビアトリクス・ポター(絵本作家)、西村由紀江(ピアニスト)。 岡田氏に愛着障害と診断された著名人 岡田氏の『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』(2011年 光文社新書)を読んでみたところ、岡田氏が、母親の不在または愛情不足により愛着障害となったとして名前を出している著名人は、30名いました。 この本には各著名人の写真も掲載されています。 バラク・オバマ(アメリカ大統領)、川端康成(作家)、ジャン・ジャック・ルソー(思想家)、夏目漱石(作家)、太宰治(作家)、ミヒャエル・エンデ(作家)、ビル・クリントン(アメリカ大統領)、アーネスト・ヘミングウェイ(作家)、中原中也(詩人)、W・D・ウィニコット(精神科医)、ゴッホ(画家)、ユトリロ(画家)、モディリアニ(画家)、ジョルジュ・バタイユ(作家)、ウィノア・ライダー(俳優)、リンジー・ローハン(俳優)、スティーブ・ジョブス(実業家)、ヘルマン・ヘッセ(作家)、エリク・エリクソン(心理学者)、ジョアン・サーソン(エリクソンの妻)、ジャン・ジュネ(作家)、ゴータマ・シッダルタ(釈迦)、谷崎潤一郎(作家)、チャールズ・チャップリン(俳優)、ムハンマド(イスラム教預言者)、高橋是清(総理大臣)、種田山頭火(俳人)、マーロン・ブランド(俳優)、マーガレット・ミッチェル(作家)、ショーペンハウアー(哲学者)。 カバーには〈岡田尊司「愛着障害」シリーズ 累計40万部突破!〉〈大反響! 大増刷!〉と書かれており、これが専門家向けの研究書ではなく、一般読者にウケることを主眼においた書籍群であることがわかるのでした。 岡田氏にパーソナリティ障害と診断された著名人 岡田氏のクリニックのウェブサイトには、岡田氏の著書『ササッとわかるパーソナリティ障害』(2010年 講談社新書)に出てくる7名の著名人の名前とその病名(岡田氏の推測)が引用されています。 オノ・ヨーコ(アーティスト/演技性パーソナリティ障害)、ウィトゲンシュタイン(哲学者/シゾイドパーソナリティ障害)、C・G・ユング(精神分析学者/失調型パーソナリティ障害)、小佐野賢治(実業家/妄想性パーソナリティ障害)、アガサ・クリスティ(作家/回避性パーソナリティ障害)、ユトリロ(画家/依存性パーソナリティ障害)、曽野綾子(作家/強迫性パーソナリティ障害)。 いつから日本では精神科医が著名人の精神疾患(推測)を自分のクリニックの宣伝に利用してよくなったのでしょうか。 量産される書籍 私が簡単にネットで調べたところ、岡田氏が過去20年間に出版した類似書籍は80冊ほどありました。 版元の出版社は25社のようです。 実際にはもっとあるのかもしれません。 著名人の無断診断を公表しているらしき書籍は多く、レビューに名前の出てくる著名人は、ご存命の方も含め大勢います。 個人でこれ以上の調査をつづけるのは大変なので、ここまでとしますが、岡田氏に無断で診断された国内外の著名人は100名を超えていると思われます。 各版元の編集部には、内容の正確さと必然性、出版の倫理性、著名人の生き方への敬意と家族への配慮について、再検討することをお勧めします。 精神科医が診断し出版社が承認した精神疾患に反論するというのは、とても高いハードルです。 当人および家族から抗議が来ないことが許容を意味しないということを、ご理解いただきたいです。 見解の公開へ 私は、朝日新聞出版書籍編集部長の宇都宮健太朗氏に対し、本書から「星新一の場合」の項(17ページ)と「森鷗外の場合」の項(3ページ)を削除していただくように願い入れましたが、同意を得られませんでした。 せめて星新一だけでもと考えており、本書の問題点については充分に説明したつもりでしたので、同意いただけなかったことは大変残念でした。 ここに自分の見解を公開して、世の中に広くこの問題を知っていただくことで、事態の改善を期待したいと思います。 この見解が、精神医学関係者の方たちに注目していただけることを祈ります。 朝日新聞出版からの「お知らせ」 10月2日、朝日新聞出版サイトに以下のお知らせが掲載されました。 朝日新書『生きるのが面倒くさい人』についてお知らせ 2016年刊『生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害』(岡田尊司・著、朝日新書)において、星新一氏に回避性パーソナリティの傾向が推測されると記述されている内容は、著者である岡田尊司氏個人の見解に基づく推測です。 実際にそうであると診断されたということを記述したものではありません。 最相葉月さんの見解 岡田氏が星新一の診断の根拠とした評伝『星新一 一〇〇一話をつくった人』(2007年 新潮社→新潮文庫)の著者である最相葉月さんが、本件の見解〈精神科医が診察せずに著名人に病名や障害名をつけ、それをキャッチコピーに利用して書籍を宣伝し、広く公に販売することは許されるのか 〜 岡田尊司著『生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害』(朝日新聞出版)について〉を、ご自身の公式サイト(hazukisaisho.com)で公開されています。 病跡学(歴史上の人物の精神分析)に関連した著書もある精神科医・中井久夫氏を取材された最相さんが書かれている、岡田氏の問題点について、ぜひお読みください。 【参考資料】 アメリカ精神医学会の定める回避性パーソナリティ障害診断基準 アメリカの国立医学図書館に掲載されているAvoidant Personality Disorder DSM-5-TR Criteria(ページ中程)を訳しました。(星マリナ訳)
見解公開後の反響 本見解公開の反響を記録として残すために、以下を追記いたしました。(2025年9月6日) 2024年10月に上記見解を公開後、このページには1週間で18万人以上のアクセスがありました。 最初に拡散してくださった牧眞司さんのツイートは表示数が182万超、父との写真付きでコメントしてくださった井上雅彦さんのツイートは表示数が9万超となりました。 以下の5つのまとめサイトの存在を確認しました。
作家・荒巻義雄さんの論考 見解公開時に、日本SF作家クラブ、日本文藝家協会、および文京区立森鷗外記念館へ連絡し、本書の問題点を共有いたしました。 SF作家クラブでは、会員の参加する電子サロンにて、父の友人であった荒巻義雄さんより論考の投稿がありました。 私は、まだ存命であった星新一さんには、上京の度にお会いしておりますが、(回避性パーソナリティ障害の)項目に当てはまるような症状など、一度も見たことはありません。 星さんには家父長的な風格があって、しかも話がおもしろく、だれもが尊敬していたと思います。(荒巻義雄さんの論考より抜粋) なお、日本精神神経学会へもウェブサイトのフォームより見解公開について報告しましたが、返信はありませんでした。 文春とプレジデント宣伝記事の削除 見解公開後の11月に、文春オンラインとプレジデント ウーマンに掲載されていた本書の宣伝記事(上述)について、それぞれ削除をお願いしたところ、すぐに削除していただけました。 この宣伝記事には、星新一については書かれていず、回避性パーソナリティ障害として言及されていたのは、森鷗外、井上靖、ベートーヴェンの3名でした。 著名人の人格障害認定を売りにすることの是非について、ご理解いただけたものと受けとめています。 ジャーナリスト・佐藤光展さんの記事 見解公開後の12月にジャーナリスト・佐藤光展さんの取材を受けました。 医療雑誌「集中」で連載されている佐藤さんのコラム〈精神医療ダークサイド 最新情報〉の第52回「星新一さんが回避性パーソナリティ?」に、当日のインタビューをまとめた記事が掲載されました。 この新書では、村上春樹、井上靖、藤子・F・不二雄らも「回避性」の事例として扱われており、本を特徴づける材料として著名人を利用しているように思える。 (記事内の佐藤光展さんの文章より抜粋) 精神科医・斎藤環さんのインタビュー 佐藤光展さんが、本件について精神科医の斎藤環さんにインタビューした動画が、2025年4月、YouTubeのOUTBACKプロジェクトチャンネルにて公開されました。 〈星新一さんは回避性パーソナリティ!? 偉人への誤ったレッテル貼りとパトグラフィー(病跡学)の違いを、日本病跡学会理事の斎藤環さんに聞いた/佐藤光展のメンタルヘルスあれこれ〉 病跡学とは、凡庸な精神科医が、天才の創造力の秘密を解き明かしたいという願いから生まれた学問なので、その畏敬の念、リスペクトが根本にないと意味がない。 (動画内の斎藤環さんのコメントより抜粋) 精神科医・松崎朝樹さんの動画 見解への反響を検索する過程で、精神科医の松崎朝樹さんが、ご自身のYouTubeチャンネルにて〈星新一が回避性パーソナリティ症だとした本を批判した文書〉と題した動画をいち早く公開されていたことを知りました。 私は謝罪すべきだと思いますけどね。 (中略)著名人を出すと、読者がイメージしやすくなるという点はわかるけれど、ダメなものはダメでしょう。 (動画内の松崎朝樹さんのコメントより抜粋・要約) ChatGPTの回答 2025年8月にChatGPT4(無料版)に「星新一は、回避性パーソナリティ障害ですか?」と聞いたときの回答を、参考のためにそのまま掲載します。 父の性格については必ずしも正確ではないですが、国内外の多くの研究書を学習しているであろうChatGPTは、星新一が回避性パーソナリティ障害であることを明確に否定しています。 なお、ChatGPT以外のAIでも同様の回答を得られることを確認しています。
星新一さんが 「回避性パーソナリティ障害(AvPD)」 であったという医学的・精神医学的な記録や診断は存在していません。
彼は小説の中で人間不信や孤独、他者との距離感をテーマにすることが多かったため、その作風や人物像から「内向的」「人付き合いが苦手そう」といった印象を抱く人はいます。
ただし、それは作家としての個性や表現であり、医学的診断とはまったく別のものです。
精神疾患やパーソナリティ障害は、本人の臨床的な評価と医師の診断に基づいてはじめて言えるもので、作品や伝記的エピソードだけから「回避性パーソナリティ障害だ」と断定することはできません。
ご希望であれば、星新一の 人柄や生活スタイル が「回避性パーソナリティ障害」とよく誤解されやすい点を整理して比較することもできますが、やりますか?
書かなかったこと:敗戦直前の軍事訓練について 昨年の見解公開時には、本題からはずれるように感じたので書きませんでしたが、今回、やはり書いておきたいと思いました。 岡田氏が参考にしている評伝には、最相葉月さんの取材にもとづく、大学時代の以下のエピソードが書かれています。 (註:星新一が東大に入学したのは敗戦の年の4月で、5月に東京大空襲、8月に原爆投下) 大学では、連合国軍の本土上陸を想定した軍事訓練が頻繁に行われた。
戦車のキャタピラーに爆弾を抱えて飛び込んだり、竹槍で突いたりする練習である。
到底、勝てる見込みはない。
学生の間にはそんな諦念がますます広がっていた。
いや、東京上空に初めてB29が姿を現した日からすでに、日本の科学技術がはるかに及ばないことはわかっていた。
(上巻P135) この部分を参考にしたらしい岡田氏の記載(本書P221)は以下です。 軍事教練などもやらされたが、まったく手抜きだったという。 評伝には時代背景やその事情、同級生共通の思いなどがくわしく書かれているにもかかわらず、本書では、星新一が「軍事教練や勤労奉仕も手を抜くことをはばからなかった」のは、「面倒くさいことは怠けてしまう」という「回避性」の人格だったからだということになっているのです(P233)。 だれの目にも敗戦があきらかな時期に、東大で科学を勉強する学生が、竹槍で突けば戦車を止めて国家を救えると信じられなかったのは、母親の育て方が悪いという話なのでしょうか? それは逆に、正気だった証拠ではないのですか? 朝日新聞出版が読者に伝えたいのは「次はまじめにやれ」であるようにも受けとれてしまいます。 本書には問題点が多々ありますが、敗戦直前の軍事訓練をまじめにやらなかった人は人格障害だとした書籍を刊行し、抗議があっても販売をつづけている点が私には1番怖いです。 関連ページ ごあいさつ「三つの報告」2025年9月6日 |
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