1
今、わたしの前に一冊の本がある。
初めてこの本を手にした夕方、半世紀よりもっと経ってから、その時を思い返そうとは考えもしなかった。
わたしが生まれ育った田舎町の本屋さんより隣の市にある店の方が大きかった。
中学生になると電車に乗って出掛け、その棚を眺めたりもした。
ある日の夕方、並んだ背表紙の中に、
人造美人 ショート・ミステリイ 星新一
という文字を読んだ。
昭和三十六年のことである。
わたしの指は、その本にかかった。
おそらくは《ミステリイ》という言葉に魅かれたのだろう。
新潮社の本だった。
多くの読者は《星新一》の本といえば、真鍋博の表紙を思い浮かべるだろう。
これは違った。
銅版画めいた線で描かれた六浦光雄の絵で、表には都会の路地に開いた《BAR》の入口、その右にヌードのポスター。
そして裏表紙には、空に向かう魂を導く天使が描かれている。
六浦光雄の絵はその頃、新聞などでもよく見たから、
ああ、あの人の絵だ。
と思った。
「人造美人」とは、「ボッコちゃん」の最初の題だ。
後から思えば、この絵は説明的であり過ぎる気もする。
さて、わたしはその場で、目次に並んだ三十編のうち、まず最初の「人造美人」、続いて「おーい でてこーい」を立ち読みし、すぐレジに向かった。
その頃のわたしには、表紙にヌードポスターが描かれていたら、買いやすくはなかったはずだ。
それでも迷わなかった。
「おーい でてこーい」に、殴られたような衝撃を感じた。
短い文字の列が、これほどの広がりをもって訴えてくる。
そこにあるのは、単なる《落ち》といったものではなかった。
しかしながら、「人造美人」すなわち「ボッコちゃん」の結びから湧き出る不思議な詩情の方は、まだ中学生にはとらえにくいものだった。
この一冊が、読み終えてしまうのが惜しくてならない本だった。
今の新潮文庫『ボッコちゃん』は、より手頃でありより多くの作を収めている。
それを見たら、昔のわたしは、
未来の読者は、何と贅沢なのだろう。
と、憤慨に近い羨望を覚えたろう。
五十年以上の時を越えて、あの時の『人造美人』は、今もわたしの書棚にあり、手にすれば遠い日、その本と共に帰った夕闇の道を思い出す。
2
それから十年。
角川文庫、昭和四十六年の『きまぐれ星のメモ』も忘れ難い一冊だ。
わたしはこの本で、かつて観るのが楽しみだった『宇宙船シリカ』の原作者が、誰だったか知った。
上のお嬢さんの命名について、いかにも星先生らしい思考の道筋が語られた後に、《また、NHKテレビで二年ほど私が原作をつづけた「宇宙船シリカ」の記念にもなる》と書かれていたのだ。
嬉しかった。
白黒の画面が、ふうっと頭に浮かんだ。
星先生、わたしは実は『チロリン村とくるみの木』よりも、『ひょっこりひょうたん島』よりも、ずっとずっと『宇宙船シリカ』の方が好きだったんですよ!
と叫びたくなった。
この番組の映像は、脳内に大切にしまってある。
お嬢さん といえば、その後のエッセー集、新潮文庫の『きまぐれ暦』に収められた「意味の重圧」は、こう始まる。
うちの二番目の娘は小学三年だが、だじゃれをおぼえはじめた。
「秋田さんが、秋田市にはあきたと、秋にやってきた。それみて子供が、あ来た、と言った」などと妙なことを考え出してしゃべっている。
さりげないが、しかし溢れる愛を感じる。
わたしは今ふと、この文章を、ダジャレで閉じたくなってしまった。
だが、あやうく踏みとどまった。
そして、思う。
人はこの《秋田さん》のように、記憶の中に忘れられない場面や言葉や音楽や絵を持つ。
星先生の本は、わたしにとってそういうものを収める箱の中にあるのだ。
2018年2月
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