あの頃の電話
星マリナ
すこし前に荒巻義雄さんが、日本SF作家クラブ会報(1980年)の画像を送ってくださいました。父のエッセイが掲載されたページでした。こんな話が、こんなところに! と、驚くと同時にとてもなつかしかったので、ここに転載することにいたしました。
電話の件
星新一
三月上旬のことである。高校生の娘ふたりは期末テスト。学校から帰ってくると眠り、夕食後、朝まで勉強し、そのまま出かけるという変則的な日常となっていた。
その日、土曜の午後ということもあって、私は電話を書斎に切り換え忘れていた。かけてくる人もなかろうと思って。
つまり茶の間では、昼すぎに帰ってきた下の娘が、ソファーの上でひとり眠っていた。曇った日でカーテンを引いてあり、あたりはうす暗い。そこへ電話のベルが鳴った。この下の娘、目ざめがよくないのである。
私へかかってきた電話。そばに光るデジタル置時計があり、三時ちょっとすぎ。娘はそれを見て、もうろうとした頭で午前三時と思い「父は眠っています」と答えた。
かけてきた人は「いつごろお目ざめ」と聞いたらしい。娘が「お昼ごろ」と答えると、びっくりした声がかえってきた。以上、あとで知ったことである。
そりゃあ、相手の人は驚いたろう。二十四時間以上も眠りつづけと思ったわけだ。しかも、家族の一員から平然と告げられたのである。
相手の名を聞いてなかったので、弁明のしようがない。かけたのが会員のかただったのなら、以上のようなしだいですから、ご了承ください。
しかし、会員外にはわざわざ説明することはない。超人間的で、なにやら神秘的ではないか。仙人じみている。何時間以上は眠るべからず、ということはないのだ。
というわけで。下の娘です。
(^.^)
スマホ世代の若いかたが読んでも意味不明な部分があると思いますので、弁明をかねて補足説明をさせていただきます!
当時、わが家には電話の回線(電話番号)がふたつありました。
ひとつは父の仕事用で、もうひとつが家族用。
父にかかってきた電話は、二階の書斎、一階のリビング(茶の間)、そして一階の廊下の三か所にある父専用の固定電話でうけることができました。
それぞれの電話の横にスイッチがあり、目的の場所に切り換えることができるのです。
リビングには、父用と家族用の電話がならんでおいてありました。
家族みんなで食事中というような時に父の電話が鳴ったら、父は廊下に切り換えて電話にでますが、これはレアケース。
通常は書斎かリビングのどちらかです。
父がおきて書斎にいる時は、とうぜん電話は書斎に切り換えてあり、夜中に仕事をする父は、明けがたに原稿を書きおえると、電話をリビングに切り換えて眠りにつきます。
父がおきるのはお昼ごろなので、午前中の電話にでるのは母です。
そのため母が午前中に外出することはまずありませんでしたが、たとえば母が庭のそうじをしているというような、ちょっとした隙に電話がかかってくることもあります。
そういう時には私か姉がでて「父は眠っています」と答えるようにと、小さい頃から教えられていました。
子供なので、「どちらさまですか?」「どのようなご用件でしょうか?」などと聞いてなにかいわれても、名前をまちがえたり用件を理解できなかったりすると、相手に失礼になるという配慮から、こちらからはなにも聞かない、というのがファミリールールでした。
もちろん「眠っています」といえば、相手は「いつごろ、かけなおせばいいでしょうか?」と聞いてきます。
そうしたら「お昼すぎにおねがいします」と答えるルーティンなわけです。
当時はまだ留守番電話がありませんでした。
留守番電話がないというのは、だれかがでるか相手があきらめるまで、いつまでも電話が鳴りつづけるということです。
もちろん着信履歴などない時代です。
そこで、上記のエッセイの場面となるわけです。
電話が鳴っているので、おきなければいけない。
鳴っているのは父の電話だ。
リビングで鳴っているということは、父はすでに眠っているということであり、母が見あたらないので私がでなければいけない。
「父は眠っています。お昼すぎにかけなおしてください」なのである。
私としては。
が、電話をきってしばらくして気がついた。
あー! 今ってもしかして午後の三時? というか、午前三時に電話がかかってくるわけないしー!
そうして父に伝えたのです。
電話の件を。
四十年ちかい時をこえて、状況を説明する私と、わらって話を聞く父の姿が、ホログラムのように私の前にうかびあがってくるのでした。
2019年9月6日(ホシヅルの日)