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 寄せ書き 
矢代新一郎「僕はいかにして貸本屋になったか」

新潮社 編集者
 昭和50年の秋の夕暮れ。
 僕は、女の子の後を付けて青山通りを歩いていた。 隣りのクラスのちょっと気になる転校生。 名前はもう覚えていない。 彼女は、脇目も振らず横断歩道を渡ると、大きなモザイクの絵の本屋の前に立ち、自動扉が開くとためらう事なく、とんとん二階へ上がって行く。

 その本屋には、実はしょっちゅう通っていた。 主たる目的は、漫画雑誌立ち読みのため(すいませんでした)。 少年ジャンプ、マガジン、サンデー、チャンピオンにキング。 ランドセルを床に置き、その上に座って読む。 不思議と、怒られた記憶が無い。 児童書コーナーも好きだった。 ドリトル先生、ケストナー、リンドグレーン、ルパン、その他諸々。 こちらはちゃんと買った。

 だが、二階は文庫本と専門書? 当時の僕には未知の領域。 足を踏み入れるのは、初めて。 少し緊張。 彼女は、文庫本を選んでいるようだった。 そして、ある一冊を取り、もう一冊を棚に戻し、僕の存在は全く眼中になく、階段を降りて行った。 彼女の事も気になったが、それより。大人向けの本。 何を読むんだろう?

 そこは、白い背表紙がずらりと並ぶ、講談社文庫のコーナー。 彼女が触っていたのは、星新一(敬称略)の本。 ん。聞いた事ある人。 そうそう、花ともぐら、の話を書いてた。 教科書か何かで読んだ……。

 その時の一冊が、今、僕の手元にある。 奥付には、昭和48年6月15日第1刷発行とあり、二行目は、昭和50年9月20日第8刷発行なので、やはり、僕が人生で初めて文庫本を買った(それが星新一だが)のは、昭和50年秋で間違いない。

 大人の世界を垣間見せてくれるようであり、でも子供の世界のような出鱈目さにも充ちていて、また「はだかの部屋」というタイトルだけでも興奮させられ、今のようでいて未来のようでもあり、とにかく小学校六年の夢想家男子が思い描く、近くて遠い摩訶不思議な世界が、そこにあった。

 講談社文庫の星新一は七冊で、天がカットされていて綺麗なのが好きだった。 あっという間に六冊読み、12月に『ごたごた気流』が出て読む(なぜか『おかしな先祖』は、ずっと品切れで、これだけかなり後に読んだ)。 ついで、和田誠の挿絵が好きだったので、角川文庫に進んだが、冊数も少なくあっという間に制覇。そし て、新潮文庫、また並行してハヤカワ文庫にも進む(ハヤカワ版の『進化した猿たち』も全部持っている)。 そうして文庫の星新一は殆ど読破。

 子供とはいえ、それなりに忙しい(受験勉強も一応あった)ので、家以外でも読書の時間が欲しいと思い、学校の行き帰りの時間も、読書に当てることにした。 二十分の距離の学校に歩いて通っていたから、つまり歩き読書である。 それでも、一つか二つ読める。 が、危ないと、よくお巡りさんに怒られた。

 本を読みながら歩いていると、友達にそんなに面白いのかと声をかけられ、何度か説明したり、読みかけの本をそのまま貸したり(たぶん、二度目だったから)するようになり、ある日、はたと気がついた。 こんなに素晴らしいものを、自分一人で独占していていいのだろうかと。 むしろ、積極的に世に広めるべきではないかと。

 当時の小学校の図書館には、星新一はなかった。 なので僕は、貸本屋を始めることにした。 蔵書の目録を作り、自分なりの一行コピーと、お勧め度(確か、☆☆超お勧め、☆お勧め、無印だった)を書いた紙を、クラス仲間に見せた。 無料だったせいか、貸本屋はたちまち隆盛を極め、僕は毎日、十冊程の文庫を持ってえっちらおっちら学校に通った。 夜には、お手製の貸し出しカードの枚数を数え、多い日はほくほくした。

 未読の文庫の星新一が減るに連れ、並行して小林信彦、井上ひさし、北杜夫他を読み、文庫本のコレクションはあっという間に五十冊を超え、本屋では、注文してツケで買うようになった(さすがに、自分の小遣いでは買い切れなくなり、親に出して貰った)。

 中には、汚く読む奴もいて、カバーを汚されたり破られて怒り、でも補修してまた貸す。 そんな日々がしばらく続いた後、ついに、星新一の文庫本全てを入手してしまった。 さて。業務拡張を図るなら、ソフトカバーの単行本が新潮社から数冊出ている。 どれも、しばらくは文庫になりそうにないことも、調べによりわかっていた。 どうすべきか。

 が、貸本屋はあっけなく幕を閉じた。 どこかPTAの中で、僕がお金を取って本を貸していると言う事が問題になったのだ。 勿論、疑いはすぐ晴れたが、生徒間の本の貸し借りは禁止となった。 口惜しくはあったが、星新一ファンが増えたのは間違いないので、惜しまれつつ店じまいした。

 さて、業務拡張の必要はなくなったが、更に星新一を読みたいという欲望は抑えきれず、ついに禁断の単行本に手を伸ばすことになった。 買った単行本第一号は『おせっかいな神々』(カバーが一番気に入った。紫の帯が付いてたはずだが、失くなってしまった)。 今回、引っ張り出してみたら、520円。 文庫の『ボッコちゃん』は240円だったから、ほぼ倍だが、その程度のことでも、小学生は買うべきか買わぬべきか、悩み罪悪感を感じていたわけである。 その他、『ブランコのむこうで』は、最初は全18巻の作品集にしか収録されてないようで、これは大きな図書館で借りて読んだ(一緒に、戯曲も)。 そしてついに、禁断の新刊に手を伸ばしたのは『どこかの事件』、昭和52年3月、もうすぐ中二の春……。

 長じて、出版社に入り、編集者となった。 結婚して子供が出来た。 何度かの引っ越しをいくつかの書棚で耐え抜いた星新一の五十冊ほどの本は、僕の子供達がまた読み、あるものはカバーがなくなり、あるものは袖がちぎれ、また黄ばみ、セロテープで補修され、ほとんど野戦病院の患者達のような姿で、しかしどこか誇らしげで、今、僕の前にいる。 そして、みんな声をそろえてこう聞くのだ。
「ボス、次の出番はまだですか? いつでも行きますぜ!」と。

 思うに、良い本の素晴らしさとは、二つある。 一つは、読んだその時、面白い。
 そして、もう一つは、最初に二度目に……、それを読んだ時の記憶を、たった今の出来事のように目の前に蘇らせてくれる。

 話は昭和50年の夕暮れの本屋に戻る。 女の子が書棚に返した本を、僕は凄い勢いで見に行った。
 少し書列から飛び出したその本は、『おみそれ社会』、星新一、445A178、講談社文庫、とあった。

 僕は、ためらわず、その本を手に取る。
 おみそれ社会、何だろう?
 260円。僕の小遣いでも買える。
 背中が、ぞくぞくする。
 つばを呑み、ページをめくる。
 一行目。
「いつものように、ちょっと出かけてくる」
 僕は、ランドセルを足下に置き、その上に座る……。


2020年1月

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