私が星作品を初めて読んだのは、大学生の時、先輩から借りた『未来いそっぷ』でした。
それ以前にも学習雑誌などで読んだことがあったと思いますが、「星新一」の名前を意識したのはこの時からです。
たちまち、星作品の虜となり、全作品読破を目指しました。
そして、いつしか「エヌ氏の会」(星新一ファンクラブ)の存在を知り、すぐに入会を申し込みました。
私が初めて星先生にお目にかかったのは、「エヌ氏の会」が1978年7月に開催した「第1回星コン」の会場でした。
思った以上に背が高くて、あの独特の少しくぐもった低音で話されるお姿を拝見して、ミーハーなファンだった私は大いに感動していました。
その後のひとときは、まさに至福の時間でした。
そんな状態でしたので、直接お話しすることもできず、他の会員たちとどんなお話をされていたかも記憶にありません。
それ以降開催された星コンにはほとんど参加しましたが、オークションが実施されることもあり、星先生のご好意により出品されたいろいろなお宝の中で、私は星先生の生原稿を落札することができました。
それも、下書きと清書の2種類を持っています。
しかし、同時に落札したものではありませんので、別々の作品なのがちょっと残念です。
また、角川文庫の革装特製本も入手しました。
「星コン」のおみやげとしても、いろいろなものをいただきましたが、中でも、銀製のホシヅル・カフスボタンは大事にしているもののひとつです。
消しゴムはんこで手作りのホシヅルスタンプを作成して、「星コン」で販売したこともありました。
今から考えると、星先生に許可をいただかないでやっていました。
しかし、星先生にも差し上げて、受領証代わりにスタンプ帳にサインをいただきましたので、事後承諾していただけたものと勝手に解釈しています。
「エヌ氏の会」の林会長と一緒に、「星コン」に出席される星先生をお迎えに戸越のご自宅へお伺いしたことも貴重な思い出になっています。
最近でも、テレビで戸越銀座の紹介番組があると、懐かしく当時を思い出したりしています。
最相葉月氏の評伝『星新一 一〇〇一話をつくった人』の中で紹介されているエピソードのひとつに、「星コン」の際にお渡しした花束のバラの品種が「スーパースター」だったというものがありますが、この花束を購入する時にも立ち会っていた記憶があります。
「エヌ氏の会」の会員として過ごした中で、ひとつだけ残念かつ申し訳なく思っていることがあります。
それは、松山での開催を企画していた「第4回星コン」が幻となったことです。
星先生のご都合を考えず、私の力が及ばなかったため実現には至りませんでした。
若気の至りとは言え、いろいろと失礼なことも多かったと思いますが、星先生はいつもにこやかに穏やかに見守って下さっていたと思います。
星ファンとして、本当に素晴らしい日々を過ごすことができ、幸せに思っているしだいです。
星先生がお亡くなりになった後も、「エヌ氏の会」の名のもと何度も集合しては、お墓参りや「星新一展」観覧などを実施しました。
今後も何かの機会には集合して会員諸氏と旧交を温め、星先生を偲びたいと願っております。
2019年12月
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