あちこちで書いてる話ですが、僕が生まれて初めて自分で買った文庫本は、星新一『ボッコちゃん』だった。
新聞の新刊広告を見て、高知市帯屋町の島内書店に買いにいった記憶があるから、新潮文庫の初版が出た1971年5月のこと。
当時、大森は小学校5年生。
それ以前にも子供向けのSFは読んでいたけれど、大人向けの本はたぶんこれが初体験。
真鍋博の瀟洒なカバー(現行版とは違う鍵のイラスト)にくるまれた新潮文庫を手にして、ちょっと大人になった気分を味わったのを覚えている。
『ボッコちゃん』をきっかけにSFの道にハマった人間は、僕らの世代(1960年前後生まれ)には珍しくない。
というか、1970年代には、『ボッコちゃん』こそSF入門の王道だった。
僕の場合は、以後もそのままSF街道を突き進み、いつしかSFの書評や翻訳でメシを食うようになったわけだから、『ボッコちゃん』の影響はすばらしく大きい。
ついでに言うと、その12年後(奇しくも星新一が1001編を達成する年)、新潮社に入社して、当の新潮文庫編集部で社会人生活のスタートを切ることになったのだが、これもまた、今にして思えば『ボッコちゃん』のお導きかもしれない。
『ボッコちゃん』は、まさに人生を決めた1冊なのである。
この『ボッコちゃん』をきっかけに、中高生時代は、星新一のショートショート集が出るたび、同じ島内書店で単行本(新書サイズの新潮社のソフトカバーがとりわけ印象深い)を買って、貪るように読んでいた。
そのコレクションはいまも高知の実家の本棚にきれいに並んでますが、東京に来てから買い直した文庫は、最近、9歳の娘が片っ端から読んでいる(順番はバラバラで、きのうは『妄想銀行』読んでました)。
驚いたのは、ある晩、駅からの帰り道、「星新一そんなに好きなら自分でショートショート書いてみれば?」と言ったら、10分ほどの間に3つネタを出し、親のダメ出しも聞かず、家に帰りついた1時間後にはそのうち2本をきっちり書き上げていたこと。
片方は、地球滅亡後もただなんとなくまっすぐな道を歩きつづける男の話、もう片方は金持ちが自動販売機に投入した1万円が貧乏人の親子にお釣りとして分配される「自動平均化販売機」の話。
まあ、小学生が書くものなんで突っ込みどころは満載ですが、その行動力と熱量には呆れるしかない。
ことほどさように星新一の影響力は甚大なのである。
このまま順調にショートショート作家に育つかどうか、ひそかに(?)見守りたい。
2014年5月
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