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寄せ書き
関元聡「子供の読み物、大人の読み物」
日経「星新一賞」グランプリ受賞者 |
関元聡と申します。
ありがたいことに、第九回の星新一賞でグランプリを頂きました。
普段は都内の中小企業で中間管理職をやっておりまして、難しい顔でパソコンの画面を眺めながら、たいてい頭の中でロケットを飛ばしたりしています。
そういう空想癖のあるところは子供の頃からあまり変わらずに大人になってしまいましたが、同僚に恵まれたおかげで幸いにも仕事は何とかなっております。
これまたありがたいことです。
星先生の作品に初めて触れたのは、たぶん小学生の頃だったと思います。
図書室に置いてあったし、友人宅にも何冊かあって、それを借りて読んでいたのです。
自宅には一冊だけありました。
タイトルは失念してしまいましたが、かの有名な「処刑」が入っていたので、たぶん新潮文庫の『ようこそ地球さん』だったのではないかと思います。
この本を買ってもらった時のことは覚えています。
両親が福井県出身で、夏休みを利用して毎年家族で帰省するのですが、この年はなぜか母と私の二人きりで、そのため車でなく新幹線を使いました。
今はなき0系というコアラみたいな顔をした東海道新幹線で東京から米原まで行き、そこから北陸本線に乗り換えるルートでした。
道中暇だろうということで、東京駅の売店で母に買って貰ったのがその『ようこそ地球さん』でした。
表現が易しく、一つ一つのお話が短いので、私でも飽きずに読めると考えたのだと思います。
でももしかしたら、既に「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」などの宇宙アニメでSFの世界にハマりつつあった私が、どこかで星先生のお名前を聞いて母にねだったのかもしれません。
その辺は記憶があいまいです。
お話自体はどれも面白く、窓際の席に座りながらずっと読んでいたのですが、なにしろ小学生の集中力です。
列車に揺られて眠くなってしまい、たぶん半分までも読めなかった気がします(「処刑」は、自宅に戻ってから読みました)。
目を覚ました私が母に喉が渇いたと訴えたので、母は私に百円玉を何枚か握らせ、食堂車でジュースでも飲んでこいと言いました。
今と違い、当時の新幹線には車両編成の中ほどに食堂車がつながっていたのです。
初めての新幹線に興奮していた私は車内を冒険したい気が満々でしたので、喜んでそうすることにしました。
もちろん『ようこそ地球さん』も持っていきました。
食堂車には窓際にカウンター席があり、私はエプロン姿のお姉さんから受け取っ
たオレンジジュースを持ってその丸いスツールに腰を掛けました。
ジュースをす
すりながら本を開くと、隣にいた灰色の制服を着たおじさん(もしかしたら車掌さんだったのかもしれません)が私に話しかけてきました。「お、星新一を読んでるのか、すごいな」とかそんなことを言われました。
実際には「どこから来たの?」とか、「誰と来たの?」とかも聞かれたかも知れませんが、あまり覚えていません。
とにかく、そのおじさんが星新一について熱く語るのです。
実は大きな会社の社長さんだったとか、かの文豪森鷗外の親戚だとか、そういうことも詳しく教えてくれました。
◯◯という作品が面白いよ、と星先生の作品だけでなく外国の作家の名前を出してオススメしてくれたことも覚えています。
私はちょっとだけ面倒くさかったのですが、元来気が小さい性格なので、とりあえず失礼がないように、はい、はい、と神妙に聞いていました。
それでも、おじさんが語るSFや星新一作品に対する愛情は強く伝わってきました。
今思えば、あのおじさんは実は結構なSFマニアで、星新一ファンだったのだろうと想像がつきます。
もしかしたら周りに同じ趣味の人がいなくて、たまたま見かけた私のような子供が星新一の本を持っていたことに我慢できなくなってしまったのかもしれません。
その気持ちはよく分かります。
私も大学生の時、『2001年宇宙の旅』を読んでいた後輩を捕まえて熱く語ってしまったことがありますから。
とにかく星新一作品のことを思うと、まずはそのエピソードが思い浮かびます。
当時、星新一は子供の読み物だと揶揄されたという話もあるようですが、私は全くその通りだと思います。
ただ正確には、子供の読み物であり、同時に大人の読み物でもあるのです。
子供の頃には子供なりの楽しみ方を、大人になってからは大人なりの味わい方を楽しめるのも星新一作品の魅力です。
子供から大人まで同じ作品を読んで同じように夢中になれるという普遍性、懐の深さは、自分で物語を書くようになって、それが実際にどれほど難しいことか身に染みて分かるようになりました。
さて、星新一賞についても少し書いておこうと思います。
初めて応募したのは第七回の時で、この時は優秀賞を受賞しまして、ウィル・スミスが映画でつけていたという文字盤が三角形のかっこいい時計を頂きました。
文学賞を頂いたのはこの時が初めてで、かなり舞い上がっていた記憶があります。
自分の人生でこういう機会はもう二度とないだろうからと、くたびれていた背広を新調し、散髪にも行って、表彰式当日に備えておりました。
夢枕獏先生にもお会いできるし、女優の本仮屋ユイカさん(映画『スイング・ガールズ』の頃からファンでした)にもお会いできる、サインをもらって、握手してもらって、一緒に写真も撮ろう、そんなことを目論んでおりました。
しかし運命とは非情なものです。
時はコロナ禍前夜、豪華客船でクラスターが発生し、都内でもちらほら感染者が増え始めた頃です。
まさかというか、やっぱりというか、ついに表彰式の一週間前に事務局から中止のメールが届きました。
あの時の落胆といったら言葉では言い表せません。
大人なので顔には出しませんが、そりゃもう残念至極だったのです。
もちろん仕方のないことですし、事務局様の判断は間違っていなかったと今でも思います。
息子の修学旅行の行き先が変更になったり、大事な出張に行けなくなったり、社会全体が大迷惑を被っていたのですから。
だから恨み言をいうつもりはないのです。
でもやっぱり、表彰式には出たかった。
本仮屋ユイカさんに会いたかったのです。
それでも、あの時の悔しい気持ちがあったから、創作を止めずにこれまで書き続けられたような気もします。
絶対にまた受かって今度こそ表彰式に出てやる、そういう歪んだモチベーションが私を次の創作に駆り立てました。
残念ながら第八回では最終候補に残れませんでしたが、リモート表彰式が開催され、ちょうど知っている方が受賞されていたので自宅で表彰式の模様を見ていたら、いきなり自分の名前を呼ばれてコーヒーを吹きそうになりました。
東京造形大学の学生さんが私の作品を映像化してくれたからです。
これは本当に嬉しいサプライズでした。
自分の頭の中にしかなかった作品世界のイメージを実際に動画として目の当たりにできるという経験はなかなかできることではありません。
このことも私の創作意欲を強く刺激してくれました。
そして第九回、昨年末の中間審査で最終候補に残り、一月の末に受賞の連絡を受け、それが何とグランプリだったと知った時の喜びは例えようがありません。
在宅勤務中の誰もいない自宅で思わずよっしゃあと雄叫びを上げ、隣の家の犬に吠えられたのも良い思い出です。
感無量、とはまさにこういう時に使う言葉なのです。
二年越しのリモート表彰式には少しだけ古くなった背広を着て、ウィル・スミスの腕時計をして臨みました。
審査員の梶尾真治先生は残念ながらご欠席でしたが、過分な選評を頂いて身が引き締まる思いでした。
夢のような時間でした。
それでもやっぱり思ってしまったのです。
リモートでなく、実際に国立新美術館に行って直にトロフィーを受け取りたい。
審査員の方々や関係者の方々に直接お礼を申し上げたい。
欲深い私はそんな風に思ってしまったのです。
コロナ禍が来年収まるか、再来年収まるかは誰にも分かりません。
しばらくこの状況が続くのかもしれません。
ですから、私はまだ挑戦し続けるつもりです。
いつかリアルな表彰式の舞台に立てるその日まで、きっとこれからも書き続けていくだろうと思っています。
そういえば、実は新幹線の話にはオチがあります。
ジュースを飲み終わり、制服のおじさんにさよならをして客席に戻った途端、車内アナウンスが鳴ったのです。
「保護者の皆様へ、くれぐれもお子さまから目を離さないように 」
それは、あのおじさんの声だったような気がします。
母に食堂車での出来事を話すと、じゃあこれってうちのことだわねーと苦笑いしておりました。
2022年7月
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