無性に本好きだったのだが、小学生の頃は一冊を読み通せない子供だった。
本の重さ、装丁、印刷のインクの匂いまで…… その佇まいが大好きだった。
しかし、最後まで読み続けられないのだった。
だから、読み通すことに強い憧れがあった。
家の本棚にあった(母親がファンだった)星新一作品は、そんな僕にも優しかった。
一編が短く、そして何より面白い。
いつの間にか読み進めている。
そうして中学生になる頃には、どんな本でも読み通せるようになっていった。
そう考えると、星新一さんが、僕に編集者人生を与えてくれた恩人といえるかもしれない。
一度だけ星新一さんに接近遭遇したことがある。
渋谷区にある私立高校へ通っていたのだが、そこに講演に来てくださったのだ。
当時その高校には星さんの次女・マリナさんが在校していて、つまり娘の学校に…… というご縁で。
もちろん大ファンだった僕は、ドキドキしながら講演を聞いた。
笑顔がマリナさんそっくりだ、と思ったことも覚えている。
講演の後、サイン会も催されたが(たしか『きまぐれ博物誌』を持っていったと思う)、あまりの大行列を前に気持ちが萎え、ついにサインはもらえずじまいだった。
今となっては、何と惜しいことをしたんだろう、と思う。
そんな少年(僕です)も、大人になり、社会人になり編集者となった。
ここ数年は、アウトドア雑誌の編集長をやっていた。
いつも意識していたのは「ヒトはなぜアウトドアに出かけるのだろう?」という根本的ななげかけだ。
自然の中へ出かけていく行為は、あまりにも早い都会生活のスピードに追われるうちに忘れてしまいそうな、大切な何かに対する本能的な警鐘なのかもしれない。
都会では計算通りにコトが進むのに対し、自然の中では計算外のことばかり起こる。
その計算外にこそ、隠されたヒトの本性が出る。
アウトドアと星作品には共通点があると僕は思っている。
作者により計算された構成と、読者にとって計算外のオチにハッとさせられる快感。
ロマンとファンタジー。
進化しすぎた未来への警鐘。
それらをユーモアで読ませる。
何より、非日常を楽しむゆとりがないと楽しめないところ、などなど。
そもそもアウトドアライフは、ロマンに溢れた非日常のショートショートみたいなもの。
テントの中、木々につられたハンモックの上、山小屋、旅の電車の中……。
非日常というスパイスをふりかけて読む星作品は、また格別なのだった。
2013年7月
|