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寄せ書き
乙部順子「星新一さんの思い出」
元・小松左京マネージャー |
星新一さんとはじめてお会いしたのは、たぶん、銀座のバー「まり花」でだったと思う。
小松さんは東京に来ると夜は銀座八丁目の「エル」に行って「眉」に行き、最後に地下にある「まり花」に行くのがおきまりのコースだった。
「眉」は「アマンド」の隣のビルの四階で、何十人もの女の子を抱えた大箱バー。
長塚ママは肌理の細かい色白のお顔にふくよかな身体をシブイ着物に包んで、いつもニコニコと迎えてくれた。
客層は幅広く、笹沢佐保さん、渡辺淳一さんなどの作家や久里洋二さん、サトウサンペイさん、藤子不二雄Aさんなどの漫画家、そして東宝の社長など実業界のお偉いさんなどもいらしていて、ここに来れば会いたい人に会えるし情報もわかる、と小松さんは言っていた。
しかも駆け出し作家の頃からのつきあいなので、べらぼうに高いということもなかったらしい。
女の子たちも医大生のアルバイトや役者の卵など、一癖ある人が多かったが長塚ママのしつけは厳しかったらしい。
そんな中で「エル」のママも「まり花」のママも、「眉」の卒業生として一国一城をかまえた生粋のプロのママさんだった。
私が銀座に同行するようになったのは1983年ごろだと思うが、「エル」は開業したばかりで、小松さんは心配して必ず顔を出していたようだ。
店の繁盛具合をマスターに聞いてキープしているブランデー「マーテル」のボトルが残り少なくなっていると必ず追加してから席を立つ。
「アマンド」でビーフストロガノフやクロックムッシュをお腹に入れて「眉」へ向かう。
「眉」で小松さんの隣に座るのは大抵口数の少ないキヨミちゃん。
「麗子像」に似た静かな微笑みをたたえた可愛い娘だ。
ちなみに星さんの「眉」でのお気に入りは、サッチャンだったという。
小松さんは女の子をかまうというよりは、そのときどきの話題、たとえば今だったら「アイソン彗星」についてひとしきり解説してキヨミちゃんを楽しませ、他に親しい人がいないと「まり花」へ行く。
「まり花」は、道からまっすぐの急な階段を下りたところに入り口があり、鍵形になった壁際のソファに8人も座ったら一杯になるほどの狭いお店だった。
ママの郁ちゃんは宮崎県出身のざっくりと和服を着た小柄な人で、私は彼女を見ていると、いつも小松さんの『地図の思想』の「瀬戸内海」に出てくる「ウメ」のイメージを重ねていた。
土俗性とパッションを感じさせる女性だ。
年代的に彼女がモデルということはあり得ないのだが。
そんなバーで星さんは入り口正面の席に大抵座っていた。
1001篇のショートショートを書き上げてからは、映画を観ての帰りが多く、「イヤー、実に気分爽快だ。原稿を書くことは本当に身体に悪かったんだね。小松さんも早く止めなさい」とおっしゃって、ニコニコとビールのグラスを空け、電車のあるうちにお帰りになっていた。
1985年12月に小松さんが『首都消失』で第6回日本SF大賞を受賞した時、トミーのロボット「オムニボット」に花束を持たせて、小松さんに贈呈する演出をした。
賞状は筒井康隆会長からの贈呈だった。
その時星さんが何か面白いことをおっしゃったのだが、残念ながら覚えていない。
ただ、その時に気がついたのは、星さんは面白いことをおっしゃった後、ふっと、暗いお顔になるのだ。
悲しそう、というか、寂しそうというのか、眼の前に人がいないような感じだ。
星さんとお顔を合わせるのは、パーティの席か「まり花」でなので、私は小松さんの後ろから星さんのお顔をうかがっているだけだ。
だからなのか、星さんの表情の変化が気になっていた。
しかし、小松さんも「対人躁病、独居鬱病」。
作家というのはそんなものなのだと思っていた。
また、小松さんから聞いていた星さんのご苦労のことも脳裏をよぎった。
「手形を突きつけられたら、しげしげと見て実印の所を親指でしっかり持ったまま相手に返すんだ。
そうすると実印が破れて無効になっちゃうって。
そんなことを知っているなんて、お父様が亡くなった後よほど手形で苦労したんだろうな」と言っていたからだ。
その後「まり花」で星さんが、ときどき居眠りをするようになった。
一本のビールを呑みきらない内にだ。
扉を開けると星さんが眠っていて、郁ちゃんが口の前に指を立てている。
しばらくすると星さんが目を覚まし、ちょっと照れくさそうな笑いを浮かべ、ムニャムニャおっしゃって、早々にお帰りになった。
1995年8月からジャストシステムが刊行してくれた『小松左京コレクション』全5巻が完成し、1996年4月4日に完成祝賀会を開くことになった。
そのパーティでの祝辞を星さんにしていただきたいとお願いの電話をした時、「何を言ったらいいの?」とおっしゃる。
「小松左京作品がこのような形でまとめて出版されることは初めてなので。全集はいつのことか解りませんし」というと、「僕でいいのかなぁ」「星さんが祝ってくださったら何をおっしゃっても、小松は喜ぶと思います」「う〜ん、まぁ、とにかく行きます」ということで、お引き受け下さった。
しかし当日、星さんはいらっしゃらなかったのだ。
その日、ご自宅で具合が悪くなって病院にいらしたきり、翌年の12月30日には帰らぬ人となられたのでした。
2013年12月
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