初めて触れた文芸作品は何だったか、言葉で何かを(感覚を、感情を、世界を)作るということを初めて意識したのはいつだったかと思い返すと、ふたつの名が思い浮かびます。
ひとつは詩集『てつがくのライオン』。
作者は工藤直子、挿絵は佐野洋子。
たしか、小学校低学年の頃にクリスマスプレゼントでもらったものでした。
幼い頃から引っ込み思案だった僕は、詩の中で動物や虫や草花になることを通して世の中に触れ、その後の人生で人間として味わうことになる様々な感情を予習し、おののいていたのでした。
もうひとつの名が星新一です。
初めて読んだのは何歳の頃だったか、当時たくさんの作品のうちどれを読んだのだったか、きちんと思い出せません。
親が読み聞かせてくれたのか、自分の目で読んだのかすら曖昧です。
ただ、軽妙に話す登場人物たち(男の人、女の人、子供、ロボット……)の声と、お話の最後に残る奇妙な味わい(皮肉の苦みや、安堵の甘み……)は、今も記憶の奥底にもやもやと沈んでいます。
思えば、小説にはそれぞれ特有の文章のスタイルがあり、始めから終わりに向かって運動・変形していくストーリーの力学があるのだと教えてくれたのは、星新一の作品でした。
幼い頃にその感覚を得ていながら、それを生かして自分で小説を書くようになるまでに、15年以上もの時間がかかってしまいました。
上記のふたつの原体験、つまり詩と小説のうち、僕が先に選び取ったものは前者だったからです。
小学生の頃からぽつぽつと詩のようなものを書くようになり、中学生になるとますますノートに書き溜め、中原中也や北原白秋を入り口に近代詩を読むようになりました。
高校入学後にSF小説を読むようになっても、自分で書こうという発想には至らず、大学では詩の研究をするつもりで人文系の学部に入学したのでした。
小説を書こうと思い立ったのは、大学院に在学中の24歳の頃です。
僕は詩の中に見出してきたものをデザインで具現化したいと思い、学部時代に人文科学から建築学へと分野を変え、修士課程に進んでいました。
しかし様々な試行錯誤を経て、自分が建築設計やデザイン一般の仕事には向いていないことも分かりつつあったのです。
詩に対しても建築に対しても、動機がすっかり凪いでしまった時期でした。
そんな無風状態の中でふと、小説を書いてみようと思ったのでした。
そのときに見つけたのが、"理系文学"を対象とする「星新一賞」。
僕の脳裏には、幼い頃に親しんだ星新一作品の文体と展開の感覚が蘇りました。
種子の状態で残っていた小説の原体験が、やっと芽を出した瞬間でした。
僕は詩作や建築学を通じて培った言葉でその枝葉を広げ、初めての短編小説を書き上げたのでした。
幸運にもその作品が星新一賞で入賞し、次に書いた中編小説『コルヌトピア』が商業作家としてのデビュー作になりました。
まだ発表作品は少ないながら、今では小説に対する考えも多少は深まったと思います。
しかし、幼少期の僕に小説のひとつの典型を示し、4年前に急に駆け出したときに最初の道標となってくれたのは、間違いなく星新一の作品群でした。
2020年8月
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