星さんのお葬式で流すBGMを選曲してほしい、と頼まれたときは、なんとも不思議な気持ちになったものだ。誰もがそうであるように、私もまた星作品には中学時代から親しんできた。そして描き手には尊敬と憧れを持った。その作家ご本人とお会いできたばかりか、自分がそんな役回りを引き受けることになるとは。
SF作家の方々はファンとの交流を大事にする方が多い。小松左京さんや筒井康隆さんなどもそうなのだが、普通に考えればもう大作家であるはずの星さんも、積極的にファンとのイベントに参加され、かなり年下の読者にも気さくに話しかけてくださった。
やがて自分はマンガ家になり、今度はお酒の席や外国旅行を星さんとご一緒する機会も得るようになった。香港旅行の際は、ここにはとても書けないが、神をも恐れぬ冗談や発言も目の当たりにし、ああこれがあの「星語録」というものか、生で聞けて耳福耳福と感動したものだった。
しかし、もちろんあまりにも偉い人なので、マンガ家になった後もお話しするときはいつも緊張していたし、そもそも畏れ多くてなかなかこちらからは話しかけられなかった。こちらが感動した作品の話なども結局ちゃんとお伝えできないままだった。
BGM作りは、だから、星さんとの関係というよりも、単にそういう音楽編集が得意な奴、ということで回ってきた役目だったが、もちろん気軽に出来るようなことではない。あまり暗いものにはしたくなかったので、最初は穏当に静かなクラシックを使ったが、一般弔問客の献花が始まる頃には星にまつわるポピュラーの名曲にだんだん切り換えていった。
そしてさらに2年後「ホシヅルの日」という星さんを偲ぶイベントでは、会場で流すための星さんの生い立ちとゆかりの人のインタビューを紹介するビデオを制作した。夏の暑い盛りに撮影に歩き回り、仕事そっちのけで編集を重ねたが、自分にとってはそれが星さんからもらった感動へのせめてもの恩返しだった。
自分はギャグマンガ家なので、星さんの作品はもちろんだが「星語録」に代表されるような「ギャグのネタにしていけないことなんかない」という姿勢をこそ、見習いたい、と思う。星さんの域には到底及ばないだろうけど、その何分の一かでも。
2009年1月
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