星新一という作家をはじめて知ったのは、1971年。
渋谷の紀伊国屋書店へ行ったときでした。
クィーンズランド大学で、オーストラリアの学生に日本文学を教える講義をもつことになり、資料をさがしていたのです。
そのときに選んで購入したいくつかの短編集(早川書房《世界SF全集》28巻『星新一 作品100』、34巻『日本のSF 古典篇』、35巻『日本のSF 現代篇』ほか)を読み私は、日本の作家のなかで星新一が1番おもしろく、そして日本文学のなかではSFが1番エキサイティングなジャンルなのだという結論に達しました。
その思いは、時がたつほどに強まっていきました。
次に日本をおとずれた1974年には、品川にあった星さんの自宅にうかがいました。
自分で英訳した星作品41編を持参して、星さんに見てもらったのです。
うれしいことに星さんは、非独占を条件に、自分で出版社をみつけられたら、それらを出版してもいいという許可をくださいました。
そこには矢野徹さんも同席されていたと記憶しています。
私との会話で通訳が必要になることを想定して、星さんが矢野さんを呼んでいたのです。
その滞在中に、さらにうれしいことがありました。
星さんが、私と妻、そして息子の3人を、ホテル・ニューオータニでおこなわれた日本SF作家クラブの集まりに、彼の個人的なゲストとして招待してくださったのです。
1974年11月のことです。
そのときの写真とスケッチをここに公開いたします。
マシューさん(中央)と星新一 左端は、早川浩さん |
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名前を忘れないように アルバムに一緒に貼ったスケッチ |
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小松左京さんと |
田中光二さん(中央)、豊田有恒さんと |
そのご、80年代から90年代にかけて、私が英訳した星作品96編が出版にいたりました。
36編は日本の講談社インターナショナルの『The Capricious Robot』(1986)に収録。
シンガポールのアジアパック社からは、20編ずつ収録した短編集3巻『The God with the Laughing Face』(1988)、『The God of Television』(1989)、『The God of Fortune』(1991)が刊行となりました。
さらに、私の訳した「きまぐれロボット」「新発明のマクラ」「おみやげ」「ネコ」は、日本の学校で使う英語の教科書に掲載されることとなりました。
こうして星さんは、私の努力もあって、何百万人もの日本の生徒たちに英語を教える、決して小さくはない役割をになうことにもなったのでした。
今回の寄せ書きは、英語で書かれた原文を星マリナが和訳したものです。
2019年2月
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