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 寄せ書き 
尾川健「ほろ苦さとかなしさ」

SFファン
 私は筒井康隆さんの追っかけを数十年続けています。

 もちろん筒井さんだけでなくSF全般、星さん、小松さん、眉村さんといった日本SF黎明期からの方たちが特に大好きなのですが、学生の頃は「筒井倶楽部」「日本筒井党」という筒井さんのファンクラブに入っていただけで、SF大会にも参加することなく、作品ばかりを読んでいました。 ですから社会人になってから何かのイベントで星さんの姿を一度お見かけしたのみで、直接言葉を交わすようなことはありませんでした。


 そんな私ですが、忘れられない一文があります。 それは『SF教室』の中で筒井さんが星さんについて書かれたものです。


「卒業してから、星製薬の重役になった。 だが、この会社は、悪い政府の役人のため、つぶされかけていた。 星さんは、とてもつらい目にあったそうだ。

 でも、この人の書くショート・ショートは、とてもそんな目にあった人が書いたものとは思えない、浮世ばなれのした、奇想天外なものばかりである。 あれよあれよというまに、読んでしまう。 だが、何度もくりかえして読んでいるうちに、作品の底にある、人生のほろ苦さ、かなしさのようなものが、だんだんわかってくるのだ」(『SF教室』筒井康隆「SF作家の案内 日本の作家 星新一」より)


 中学の頃、初めてこの一節を目にした時、私にはその意味がよくわかりませんでした。 当時、たくさん出ていた星さんの作品集を次から次へと読むことがただただ楽しく、苦さやかなしさなどを感じる暇がなかったのです。

 ようやくこの文章の意味がぼんやりとわかるようになったのは大学時代、原因不明の高熱に冒され入院を余儀なくされた時でした。 突然の入院だったので見舞に来る友もなく、私は一人、実家からたまたま持ってきた『ようこそ地球さん』を読んでいました。 その終わり近くに収められた、ショートショートと呼ぶには長めの作品「処刑」は、記憶にあったはずのものとは全く違う印象を私に与えました。 流刑地で主人公に与えられる生命維持のためだけの装置。 初読時、現実の死とは縁遠かった中学生の私には面白く感じられたのでしょうが、死が間近にある病院という場所で再読した大学生の私には、生に執着せざるを得ない男のかなしさが胸に迫ってきたのです。

 そういうことだったのか…。 私は本を閉じて、「鍵」や「月の光」「古風な愛」など自分が好きな星作品を思い出してみました。 その根底には「人生のほろ苦さやかなしさ」が確かにあったのです。


 先日、東京・五反田で筒井康隆さんと評論家・東浩紀氏の対論イベントが行われました。 作品歴を振り返る過程で、日本SF幼年期の話題になった際、こんなエピソードが筒井さんから語られました。


 ある夜、「おーい」という声に窓を開けて下を見たら、星さんと小松さんが並んでこちらに手を振っていた。


 SF蜜月時代、そんな夜は幾たびもあったことでしょう。 作品は読者の中で永遠に生き続けるのだとわかっていても、実際に筒井さんの口から語られると、星さんも小松さんももうおられないことを改めて思い、胸が熱くなります。 そして星さんや小松さん、筒井さんと同じ時代に生まれ、作品を読み続けられることの素晴しさ、有り難さが心に沁みてきます。 言葉を交わすことは叶いませんでしたが、星さんには数えきれない多くのものをいただきました。 この場を借りて感謝いたします。

 ありがとうございました。


2016年1月

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