「ボッコちゃん」を読んだのは、小学5年生の時でした。新潮文庫です。
読んだあと、なんだか説明のつかない読後感が私の心に残りました。筒井康隆氏の解説も当時の私には難しいものでした。けれど、この時から私は星さんの作品を読まずにはいられなくなりました。
当時文庫化されていた星さんの作品は全て読み、さらに新刊本はお小遣いをためて手に入れて読み、書店で手に入る星さんの本を全て読み尽くすと筒井氏小松左京氏と手を広げ、SFにどっぷりはまっていったのでした。
私の専門の作曲に例えて言うなら、星さんの作品は、新ヴィーン楽派のアントン・ヴェーベルンのような、極限まで研ぎ澄まされた感覚を持ち合わせていると思います。常に未来に目を向けた音楽表現を追求していたヴェーベルンの音の扱いは非常に特徴的で、少しでも模倣しようものならすぐ亜流と判ってしまうくらい際だった個性を持っていますが、星さんのショートショートもよく言われるようにマネをしたら最後、単なる亜流になってしまいます。
また、作品が何十年経っても少しも古くさく感じないところも、極度に切り詰めた作品の規模も、ヴェーベルンと共通したものがあります(例えば弦楽四重奏のための「6つのバガテル」作品9は、全曲通しても4分ほど)。
星さんの作品は、創作における一つの理想型を表しているのではないでしょうか。
やがて、私は作品を読むだけでは飽き足らなくなっていきました。「星さんにお会いしたい」、ミーハー丸出しの私は、堀晃さんと無理矢理面識を得て、エヌ氏の会の林さんを紹介して頂き、星コンに参加したのでした。
初参加は第9回1987年9月26日、神田神保町の中華料理店での星コン。料理店に着くと、建物のエレヴェーターに乗って会場階まで行こうとしました。
すると、そこに星さんが。
私は思わず「初めまして、今回参加させて頂く大澤と申します」と挨拶した後、「ショートショートの新作はもうお書きにならないのですか? また新作が読みたいです」とたずねたのです。すると星さんは、
「僕は命を削って書いているんだ、だから『書いて』、と言われて簡単に書けるものではないんだ」
と、少し憤慨して話されたのでした。
きっと星さんの創作に対する厳しい姿勢が、このような言葉になったのでしょう。
「創作たるもの、自分の命を削ってでも行うべし」
この言葉、それ以来、私の座右の銘になっております。
私は松本民之助先生・黛敏郎先生のお二人に作曲を師事しましたが、星さんは第三の師匠とも言うべき存在です。星さんの作品から、また星さんからも「創作とはかくあるべし」、と教えて頂いたと思います。
しかし、未だ星さんのように、命を削る思いでとことん突き詰めた曲を書けないでおります。
このままでは松本先生・黛先生はもとより、星さんにも顔向けが出来ません。
死ぬまでに何とかしたいものです。
2010年12月
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