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 寄せ書き 
長谷敏司「ユーモアの原点」

作家
 星新一は物書きとして永遠のあこがれである。


 文章を書くしごとをしていると、迷ったとき自分はどんな仕事をしたいのか先人にモデルを探すことがある。
 というのも、文章を書くのは世界中の大半の人間ができることだからだ。 誰でもできることを職業にしているから、参考にするモデルはいくらでもある。
 ただ、裾野が広いせいで要求される水準も高い。 毎日書かないと仕事に使えない質のものができてしまったり、本人にもわからない理由で調子に波がついたりする。 そして、そうして困ったときには、やはり他の人の文章を読むのだ。
 それでも、読むたびにとてもこんなふうには書けないとうならせるかたがいる。 星新一は、自分の中ではとても高いところにおられるあこがれだ。


 星新一といえばもちろんショートショートである。 けれど、最近ネットで著作リストを見て思い出したのだが、わたしの星作品との出会いは小説ではなかった。
 十歳にならないくらいの頃、よく図書館で本を読んでいた。 お金のかからない時間つぶしだったからだ。
 子どものことだから一番の目当ては漫画だ。 こども室の漫画はさっさと読み尽くしてしまっていて、当時はおとな室のものを漁っていた。 けれど、図書館おきまりの横山光輝版三国志などは途中が歯抜けになっているし、それでは読んでも話がわからない。 そんなときコーナーの片隅にあった本を手に取り、おとなっぽい世界に触れておおいに興奮したのである。
 それが『進化した猿たち』との出会いだった。


 『進化した猿たち』は、アメリカの一コマ漫画を題材に、星新一がユーモアを交えて掲載漫画に解説を入れたエッセイである。 ミステリ・マガジンに連載されたものだけに、最初のセクションタイトルは「死刑を楽しく」だ。 星さんは本当に厳しい題材を選ばれる。


 最近、何十年ぶりかで記憶を掘り返す機会があり、いても立ってもいられず懐かしい本を入手した。
 いま読むと、掲載された漫画は社会や状況が変わってしまってニュアンスが伝わりづらくなっている部分がある。 けれど、やはり解題してユーモアで見せる星新一の手つきは見事だ。時代と離れてしまってもクスリと笑える。 こころの深いところで泡が弾けるように、ずっと忘れていた子どものころが懐かしさとともによみがえった。
 けれど、いまだからこそ思うこともある。 激しい題材をユーモアでやわらげるその手さばきこそ、たぶんわたしがあこがれ続けているものだった。 深刻になる前にさらりと話を切り上げてしまうテンポのよさは、一コマ漫画とどこか似ている。 星新一のユーモアは、案外ここからきているのではないかと、いまにして創作のひみつを覗いた気になるほどである。


 深刻なものや激しいもの恐ろしいものをユーモアでくるみこむことは、まだ子どもだったわたしにとって、おとなのすごさに見えた。
 そうして、おとなになってもそうできない自分を顧みてしまう。いまもユーモアで人生の厳しさをやわらげて次へつなげるちからに、あこがれ続けている。
 たぶん、わたしにとってこれが物語の原風景のひとつなのだ。


 原風景といえば、蛇足ながらもうひとつ思い出したことがある。 なぜか漫画コーナーに星新一の本が置いてあることがあって、それでショートショートを読みはじめたのだ。 そして、題材を激しいまま扱う本が多いおとな室から、自分が読める小説を読みはじめ、気がつけばその果てに小説家になっていた。
 げんだいの図書館員のかたがたも、きっとこっそり漫画コーナーに星新一を混ぜておくとよろしい。


2015年4月

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