「おとなは キレイなことばで夢を語れ と言うけれど、たぶん世の中は、そういうふうにはできていない」
小学生だって、中〜高学年にもなればうすうす勘づくもの。
そんな子どもにとって、星作品は現実をチラリと見せてくれる覗き穴でした。
世間のほんとうをユーモアにくるんで教えてくれる星さんは、中垣理子さん(世田谷文学館)がおっしゃるとおり、私にとっても「信頼できるおとなの人」だったのです。
あれからウン十年。
江坂遊さんに弟子入りを果たした私は、世田谷出身であることがご縁となり、世田谷文学館にてショートショート講座「だれでも小説家」をもたせていただくことになりました。
対象は小中学生。
参加者の多くは、星さんの熱心な読者。
みんな興味津々で、星さんがあけてくださった穴を覗いています。
ならば、いちばん好きな作品は? とアンケートせずにはおれますまい。
「おーい でてこーい」か「ボッコちゃん」。
うんうん。星作品はテッパン多いから、迷うよねえ。
最近読んだなかでは「調整」がいちばん。
おおっ、ツウだね!
いやいや、やっぱり「鍵」だって。
あの機微がわかるなんて、おそろしい子!
……とまぁ、こんな具合に次々と作品名があがります。
なかには星さんのあの文体がかもす、独特のリズムにあこがれ、原稿用紙がヨレヨレになるまで何度も書き直す子もいたくらい。
すごいなあ、星さん。
巧い作家、おもしろい作家、有名作家は世にあまた。
でも世代を超え、こんなに愛されている作家はそうはいない。
でも、それゆえに。
「星作品は子ども向けの軽い読み物であり、長い読書人生の通過点にすぎない」。
一部からそう軽んじられた時期があった、とも聞いています。
しかしなぜそのような言われかたをしたのか、私にはどうにもピンとこないのです。
星さんのご活躍や、当時の文壇をリアルタイムで知らない世代だからか。
憤りをおぼえるというより、純粋に「解せぬ……」という思いなのです。
子どものころ好きだったものは、生涯変わらず好きでいつづけたり、思い入れがあったりするもの。
成長過程で一時的に離れることがあったとしても、それは水脈のように地下を流れ、人生の折々に顔を出しては心をうるおしてくれる。
なぜなら、子どものころに感じた好ききらいは、もっとも原初的な自我の発露、
座標の原点O(オー)のようなものだから。
そうそう、「『星新一ショートショート1001』(新潮社)が欲しいのだけど、全集だけあってさすがのお値段。
おとなになったら、自分でかせいだお金で買うのが夢なんです」 と、うれしそうに話してくれた男の子がいました。
あの子がりっぱな社会人となり、それなりに大変な思いをして得たお金で、欲しくてしかたなかったその本を手にする日。
彼もきっと、自身の原点Oに 星さんがあけてくださった覗き穴に呼びかけるでしょう。
はじめて星作品に触れた日の、あのもっとも本能に近い自我に従って。「おーい でてこーい」と。
2018年10月
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