「パパがテレビに出てるよ」と何か意味ありげに兄から言われてテレビを見ると画面の左の方に確かに父が座っていた。
でも、なんか違う気がした。
子供の頃のある晩、NHKの「連想ゲーム」を家族で見ていたときのおぼろげな記憶だ。叔父星新一の思い出で最初に浮かぶのが、なぜかテレビの中の姿だ。
父の星協一と遠目に似ていたので、当時の小さな白黒テレビ画面では子供の目にはすぐには判別できなかった。
子供の頃の実物の新一さんの思い出は、戸越にあった父の実家に遊びに行って疲れてそろそろ帰る時間かという夕方、ぬっとどこからか現れてきた姿である。
声の記憶は殆どない。
今思うと、執筆明けの寝起きで1階に降りてきたタイミングだった。
子供の頃は明るい時間に出会った記憶がない。
原稿の締め切りに追われて大変な時期だったのだろう。
もう少し経ってからの思い出と言えば、戸越の家をリフォームして作り付けた大きな書庫を見せてもらったときのことである。
いくつかの書架がレールに乗っていて、横に付いているハンドルを引くと、その書架がごろごろとゆっくりと動くものだった。
普通の家に大学にあるような格好良い本棚が置けるんだと印象に残っている。
新一さんは蒐集した海外の漫画や本を紹介してくれたが、残念ながら何を見せてもらったのかは思い出せない。
ただ、何かつぶやきながらその大きな本棚を動かすときのすごく楽しそうな新一さんの顔は忘れられない。
私の中では、新一さんとその作品は全く別のものだ。
新一さんはテレビの中の印象から余り変わらず父の相似形だ。
一方、子供の頃から読んでいた新一さんの作品は、記憶とは違った形で知らずのうちに体に溶け込んでいる気がする。
私は仕事で新商品開発に長く携わってきたが、人が手掛けていない新しいことにチャレンジすることが嬉しくてたまらない。
新商品開発は努力に比して決して報われるものではない気がするが、何か新しいことを思い付いたり、新しいことがほんの少しでも実現したりすると、この上ない心地良さが体内に満ちあふれる。
10年以上前になるが、会社で新商品開発のチーム名に「未来いそっぷ」という名前を付けたことがあった。
社内では何から名前を取ったか気付いた人はきっといなかったと思う。
実際の商品名は普通の固い名前になってしまったが、「未来いそっぷ」が実現したときにはひとり悦に入っていた。
私も新一さんがショートショート1001話を書き上げた歳になったが、今も何か新しいことがしたいという気持ちは全く薄れない。
これももしかすると新一さんとのつながりかなと感じている。
2019年6月
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