子供のころ、父・協一(星新一の弟)に連れられて新一さんの家に行って遊ばせてもらうのが楽しみでした。
東京タワーの真向かいのアパートでは、行く度に新一さんの双眼鏡で東京タワーの展望台を眺めさせてもらいどきどきしたものでした。
新一さんが戸越に引っ越してからは、ピストルのおもちゃが私のあこがれでした。
黒いリボルバーピストルのおもちゃで、多分アメリカ製の、火薬を入れて引き金を引くと銃口から大きな音と火が出るものでした。
父と私と新一さんで「穴が開くかもしれない」と障子に試したら穴が開き、小学生の私は叔母にしかられないかと心配したように記憶しているのですが、これは私の記憶の中で現実と夢がごっちゃになっているのかもしれません。
私がいつもうっとり見るせいか、あるいは元から私の為に買っておいてくれていたのか、ある日新一さんは私にそのピストルをくれると言ってくれました。
私は飛び上がる程うれしく、脇にいた父も「良かったね」と言ってくれたのですが、子供心にこんな危ない大人向けのおもちゃをもらって帰ったら母にしかられると思い、いらないと断ってしまいました。
きっと私が喜ぶと思っていた新一さんは残念そうにしていました。
私も「あの時もらっておけば」とその後何度思い出したことか、特に中学生のころにはモデルガンが流行し、新一さんのかっこいいピストルを思い起こしたものでした。
中学校に入るころに父の机にあった『妄想銀行』を読んでからはすっかり新一さんの作品のファンとなり、新一さんのおもちゃより書斎に興味が移りました。
読者として次回作の原稿を読みたく書斎に忍び込んでみたものの、原稿用紙ではなくメモ用紙に小さな字で何やらびっしり書いてあり、何とか読んでやろうと試みましたが、独特の字で判読できませんでした。
大学生のころには私は筒井康隆先生の小説に夢中になり、何かの折にその話になった際、新一さんは「そういう読者が多いんだよ。筒井さんは荒唐無稽な作品を書いているけど、本人は礼儀正しくまじめな男なんだよ」と話していました。
新一さんの告別式で筒井康隆先生から弔辞をいただいたのですが、その内容は新一さんの話のとおり、友情にあふれ権威に妥協せずまさに男伊達というべき、ありがたいものでした。
社会人になってからロバート・シェクリイというアメリカの短編SF作家のファンになり、一度新一さんにシェクリイをどう思うか聞いたところ「オレは1000編書いたんだ」と言っていたことを思い出します。
それにしてもあのピストル、もらっておけば良かったと未だに未練が残っています。
2016年4月
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