お目にかかったのは、一度きりである。
わたしが、ショートショートを書き始めたのは、中学校に入学した頃だ。
ショートショートという言葉も知らず、勝手に「超短編小説」などと銘打っていた。
SFファンの同級生がいて、その男に作品執筆を強要されたのを覚えている。
言ってみればわたしの初代編集者で、その後に出会ったどの編集者と比較しても、督促がシンプルかつ暴力的だった。
いかなる言い訳も聴く耳持たず、作品を提出するまで、毎日モノサシでひっぱくのだ。
この男は、「ノダマサヒロさん」に年賀状を出したなどと自慢していたが、わたしはまだ、「ノダマサヒロさん」と言われてもピンと来なかった。
いや、ハミルトンの「キャプテン・フューチャー」シリーズは読んでいたのだけれど、翻訳者の名前までは憶えていなかったのだ。
初代編集者は、担当する作家を教育した。毎週のように、「課題図書」が指定され、課題をこなさなければ、やはりモノサシが振り下ろされる。
必然的に、わたしの「超短編小説」のお手本はO・ヘンリから星新一に切り替わった。
最初に何を読んだかは覚えていない。
しかし、作家志望の中学生なら必ず陥るはずの、身の程知らずの錯覚だけは、鮮明に覚えている。
これなら自分にも書ける、と思ってしまったのだった。
書けるわけがなかった。
ショートショートの制約の厳しさも、読者を驚かせるための仕掛けの精妙さも知らない未熟な中学生が、星新一の真似をしようとすれば、失敗は運命づけられている。
失敗を繰り返してから、中学生は謙虚になった。
書くのをやめて、読みふけるようになった。
読んだSFを論じることによって、初代編集者の攻撃をかわす術も身に着けた。
そろそろ、高校受験が迫っていた。
いよいよのっぴきならなくなると、中学生は自ら星新一を封印した。
何度も読み返しているのに、それもショートショート集なのに、最初のページを開くと、ついつい最後まで読み通してしまう。
毎晩これをやっていては、受験勉強どころではなかった。
今よりストイックだった中学生のわたしは、封印を頑なに守った。
合格発表の翌日、これで好きなものを読めると思った時の歓喜は忘れられない。
書店に走った。
まだ持っていなかった星新一を三冊買った。
一冊は、新潮文庫の『ようこそ地球さん』ではなかったかと思う。
星新一を封印して受験した高校が、星さんの母校だと知ったのは、ずいぶん後のことだ。
ちなみに、高校運動部の総合対抗戦でライバル校になったのが、「ノダマサヒロさん」の母校だったことも、のちに知った。
それはともかく、一度解いた封印は、もうもとに戻せなかった。
謙虚さもいつの間にか薄れて、書く意欲が復活した。
読んでは書くという高校生活が始まった。
まあ、よくある話である。
まがりなりにも、文章でお鳥目を頂けるようになったのは、モノサシと星さんのおかげ、というお話だ。
でも、お目にかかったのは、一度きりである。
わたしの短編集が出る時、SFマガジンの編集長だった今岡清さんが、こともなげに言った。
「星さんに、解説頼んじゃいましょう」と。
そんなことができるのか、と思った。
そんなこと、頼んじゃっていいのか、と思った。
とあるパーティーで、今岡さんの陰に隠れるように、ウイスキイグラスを手にした星さんに近づいた。
今岡さんが、星さんに話しかけた。
わたしは、ただどぎまぎしていた。
今にも、「無礼者!」と言われるのではないかと思った。
無礼者、とは言われなかった。
優しくお声をかけて頂いた。
ああ言おう、こう言おうと考えていた話の構成は、一瞬で吹き飛んだ。
その時自分が何を言ったか、全く覚えていない。
短編集が出来上がった時、解説を読んで、馬鹿みたいににやにやした。
もう一度読んで、またにやにやした。
お目にかかって、お話ができたのは、あの時一度きりだ。
でも、舞い上がってしまっていたのできちんとお礼も申し上げられなかった。
せっかくのチャンスなので、この場をお借りしようと思う。
ありがとうございます。今の幸せは、星さんのおかげです。モノサシは別としても。
2017年2月
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