2013年から日経「星新一賞」という文学賞が始まりました。
これは星先生が生み出した〈「理系文学」を土俵に、アイデアとその先にある物語を競う賞〉(広報文より引用)で、これまでに5回開催され、合計12,353編の応募がありました。
受賞者は初めて書いた人や他に本業を持つ人、かと思えば執筆の専門家であったり、小学1年生から還暦を迎えた方まで、性別問わず幅広い年齢層にわたって星新一なるものの新たな一面を見せてくれています。
そうして多角的な面取りによって、複雑な陰影をもつ星新一なるものが現前するのです。
私はこの第一回から「星新一賞」実行委員会との連携のもと、「映像で読むSF」として受賞作品から選んだ数点を映像化する事業に、東京造形大学の学生とともに取り組んでいます。
星先生はご自身の小説を映像化することについて大変慎重であったと伺いましたが、挿画、装丁で星文学を視覚化した錚々たる表現者の仕事を見るにつけ、「星新一」の名のつく賞の受賞作品に対してその一線を超えられるかを問われているのだと、学生共々気を引き締めて、そして思い入れと愛情をもって臨んでおります。
原作者の皆様のご理解とご協力を得て、これまでの4回4年間で18編を映像化しました。
これらの映像は、毎年3月に開催される表彰式会場で特別プログラムとして上映されます。
会場でのお披露目が済んだ映像は、今後はインターネット上で閲覧できるよう、環境を整えているところです。
「映像で読むSF」は学事新年度の4月に、前年回の受賞作品の読み込みから始まります。
文字から立ち上がる仮想視覚の感覚質(クオリア)を味わい、心に馴染む作品を選び、原作者の承諾を得られたら、現実的な制作に着手します。
その冒頭で「星新一賞」のガイダンスをすると、ほぼ全ての学生が星新一という作家とその創作を予め知っています。
留学生も親の書架にあって読んでいたと言います。
星作品が世に送り出されて半世紀、今も世界中で世代を超えて読み継がれている事例を垣間見て、改めて創造の普遍性に思いを馳せます。
この半世紀の科学、技術、社会、生活は未曾有の進歩と変調を遂げつつあります。
同時に、技術を持たない頃よりはるかに倫理や哲学が重要となっています。
省みれば、近代科学の燈により神秘の美しい翳までが明るみに晒されることを虹の解体と嘆く詩が生まれたように、いつの時代もヒトは葛藤し、その軋みを見つめて関係の在り方を模索してきました。
scienceの語源は「知識」、さらには「見る」という意味まで辿れます。
日本文化において漢字で表し分ける「みる」には、視覚系に依らず感覚質を生起する容態もあります。
そうした「みる」を極めれば、兆しを感受して編集し、予言めいた推察が可能になるわけです。
こう考えてみると古典の普遍性とはscientificな眼差しに担保されるといえそうです。
たとえば、物理的な事象としての私は通常ひとつの空間でひとつの時間軸を経験しますが、精神的にはありえたかもしれない人生をいくつか持つことができます。
fictionを書くということも、その持ち方のひとつだと思います。
物理的な事象が現実を担保するならば、星先生は此方には不在ゆえ、彼方におられるのでしょう。
かつて此方地上の26,029日間、先生は百億の表意文字、表音文字で人間界と交信したわけですが、語る存在から語られる存在へとお隠れになって7,376日間(この文章を書いている2018年3月11日現在)、どのように交信なさってきたのでしょうか。
ヒトは物理的な事象と知覚現象、それに共同幻想が作用して絶え間無い生成と崩壊を繰り返す形象たる、震撼するウツワです。
ふとした出来事にserendipityを感じるとき、それは言葉を介さない思念の響きです。
そんな彼方の仕方に気づくことが「みる」ちからなのです。
話を戻しまして、「星新一賞」には人工知能氏も応募を重ねています。
芸術作品を含めてものづくりの世界では、個々人は匿名でありながら総体としては固有名に属する、所謂、工房制によって、原型を創造した親方が去っても、それを原基として弟子が新たな創作を生み出していくことが多々あります。
この有機的な活動により永遠の生命体が仮現するわけです。
人工知能氏が星新一なるものを定義なさんとしているのは、「私とは何か」という問いが、思索と人間機械論からの思考実験、実験心理学を経ていよいよ唯脳論の社会実験かと、興味は尽きません。
そういう実験精神も抱擁する「星新一賞」は、姿形、在り方を変えて仮現する星新一なるものなのだと思います。
先日、第五回日経「星新一賞」表彰式を終え、しばしチルアウトの漂いのなか、言葉を探していました。
また、新たな面取りが加わったこの時代の星新一なるものの描き方を探求する一年の旅が始まります。
2018年3月
|