没後25年を迎えた昨年、中日新聞・東京新聞のサンデー版大図解とロングインタビュー企画「あの人に迫る」で、星さんと次女マリナさんの人生を書かせていただきました。
10代から90代の読者から届いた200通を超えるハガキには、星作品への熱い思いや読んだ当時の思い出がびっしりと綴られていて、星さんの魂をお届けすることができてよかったと、心からうれしい気持ちになりました。
昨年が25年であることを、実はすっかり忘れていました。
恥ずかしながら、NHKでドラマ化されているのを観て、「なんとしても特集しなければ」と、取材のご相談をさせていただいた次第です。
というのも、私は幼いころからSFファン。
SFというジャンルや星さんと向き合うなら、今しかないと思ったのです。
私はいつも、ここではないどこかの世界を考えるのが好きなこどもでした。
パーマンの変身セットを買ってもらい、幼稚園のジャングルジムから飛んでみたり(幸いかすり傷ですみました)、学研のふろくを分解してロボットを作ってみたり、SF映画や小説の世界が現実にあり得るのか、中学の理科や高校の物理の先生に質問してみたり(先生方も一緒に考えてくださったこと、今でも感謝しています)。
おとなになってからは、アメリカでUFO観察ツアーに参加してみたり(ミジンコのような謎の光は見ましたが……)。
そのきっかけのひとりが、星さんだったように思います。
図書館ではいつも「貸出中」で入手困難な星作品。
ようやく手元に届いたころには卒業間近でしたが、読みふけりました。
それから新聞記者となり、転勤で各地を渡り歩いても、『ボッコちゃん』だけはいつも手元にありました。
事件や事故など、ふだんなら遭遇しない出来事の連続に、思わず原稿を書く手が止まります。
なにをどう書けば伝わるのか……。
ことばを尽くすほどに、伝えたいことからは遠のいてしまいそうになり、つかんだと思ったら逃げられてしまう、ことばはまるで魚のようで。
そんなとき、私はいつもページをめくります。
「星さんならどう書きますか?」
星さんの文体はシンプルで明晰かつ洗練されていて、ときに突き放すような感じがありながらもユーモアが醸し出されます。
まるで銀座の街を颯爽と歩く、かっこいい大人みたい。
作品を通してご教授いただき、なにかをつかんで、また原稿と向き合う勇気がわいてくる。
そんな星さんとの対話は、とても大切な時間です。
それにしても傑作を膨大に生み出すとは、いくら天才でも星さんの大変さはどれほどだったかと想像すると目がくらみます。
かつて私は期せずして賞をいただき、映画の脚本を書かせていただいたのですが、アイデアをカタチにするのはこんなにも骨が折れるのかと、創作の大変さを実感しました。
「満足のゆくなにかが得られるまで、考え抜く以外に方法はない」(『きまぐれエトセトラ』)と星さんはエッセーで書いておられますが、いつか宇宙でお会いしたら聞いてみたいです。
「そうは言っても大変でしたよね」、と。
インタビューで星さんのご自宅に伺ったとき、マリナさんの隣から、ものすごく鋭い視線を感じました。
その先には星新一さんのすてきなお写真がたくさん並んでいたのですが、あのとき、たしかに星さんがいらして、こう問われたような気がしています。
「君はなにを書きたいのか」
いかに楽しんでもらうかを考え抜き、いまも世界中のひとのこころを明るく照らし続ける星さん。
真っ暗な海のなかで、星新一という光を頼りに、ひたすらに書き続けていきたいと思います。
2023年3月
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