1994年に平井和正作品のデジタル化に携わって以来、現在まで電子出版に関わってきた。
日本の電子出版は、Kindle上陸以前はガラケーを舞台に発展してきたが、携帯電話初の公式キャリアサービス「新潮ケータイ文庫」(2002年〜)の目玉コンテンツは「日がわり星新一」だった。
ガラケーでの読書体験を世界で初めて提供し、その黎明期に多くの読者を電子出版に導いたのは星新一だという歴史的事実は、この機会に改めて大書しておきたい。
1994年、パソコン通信で平井和正の書き下ろし小説「ボヘミアンガラス・ストリート」をアスキーより電子先行で配信した。
当時はまだアナログモデムで電話回線に接続し、テキスト文字をダウンロードすると、回線速度が遅いため、画面にゆっくりと表示されていく文字を追いながら読書できてしまうというような、前近代的な時代だった。
アドビAcrobat日本語版の雑誌記事掲載依頼が、評価版ソフトと共に編集部に届いたのは、その3年後の1997年だ。
試しに平井和正作品をPDF化してみたところ、印刷紙面レベルのレイアウトでカラーイラストを掲載できることに平井和正は大いに喜び。
アドビ社協力のもと平井和正作品をPDF化し、AcrobatReader日本語版リリース当日に、日本初のPDFによる商業電子出版をスタートさせた。
星さんの訃報が届いたのは、そんな折だった。
すぐに平井和正より提案があり、星さんを追悼するPDF電子書籍を作成し、無償で公開させていただくことになった。
収録作は「星新一の内的宇宙(インナー・スペース)」と「星さんへのファンレター」の二篇。
「星新一の内的宇宙」はSFマガジン1970年5月号(早川書房)に掲載されたショート・ショートで、星さんを中心とした小松左京、筒井康隆ら当時のSF作家たちの交流と、そこで展開される「星語録」の笑撃を小説化した異色作だ。
SF好きの当時の読者はみな、この作品で星新一の人格的魅力と、憧れのSF作家たちとの濃密な交流を知り、その世界に大いに憧れたものだった。
PDFに併せて収録した「星さんへのファンレター」(1973年『冬きたりなば』〈早川書房〉解説)で、平井和正は次のように語っている。
私はみんなの渋面を覚悟の上で、「星新一の内的宇宙」という短編を書いた。
日本SF史の資料として書きとどめるだけの価値があると信じたからだ。
日本SF界の産んだ天才たち、星新一、小松左京、筒井康隆らのSF作家たちが、いかにすばらしい一時期をすごしたか、その一端だけでも、SF読者にわかち与えたかったからだ。
はたして、SF作家仲間の不評は買ったものの、読者は喜んでくれた。
「星語録」をほんのすこしでいいから、そっと漏らしてくれという投書が殺到した。
「星語録」とは、親しい仲間裡での、内密の星新一暴言録のことである。
「天人ともに許さざる」悪口雑言の記録である。
森羅万象ことごとく、秩序と権威のすべてを、星さんは容赦なく笑いものにし、白痴(こけ)にし、縦横無尽に破壊しつくした。
われわれは狂人のごとく笑い、発狂寸前まで笑いつづけた。
そうだ。
われわれは星新一と同時代に生きる幸せを味わい、星新一の天才を独占している至福の境地に酔ったのだ。
(中略)
この馬鹿話が、日本のSF作家の思考力をきたえ、感性を研ぎ澄まさせ、アイデアの源泉となり、巨大な笑いをもたらす原動力になったことは、疑うべくもない事実なのだ。
将来書かれるはずの日本SF史に必ずや特筆されるにちがいない。
平井和正の悪い癖で、実在の人物を本人に断りなく勝手に小説に登場させてしまう。
しかも脇役に名前を借りるような話ではなく、主役級に本人をそのまま登場させてしまうという暴挙。
しかし「星さんへのファンレター」は、星さんご自身の希望により『おかしな先祖』(1985年 角川文庫)に出版社を越えて再録されている。
星さんに気に入っていただけたようで、平井和正も嬉しかったのではないか。
その『おかしな先祖』のあとがきで星さんは次のように記している。
このあいだ、平井さんと二人でゆっくり話し合う夜を持て、時のたつのを忘れた。
そして、思い出にふけったりした。
いまや日本のSF作家は、それぞれの独自な世界を確立した。
しかし、その初期には宇宙の発生のビッグ・バンのように、混沌と熱気と連帯感と無限の可能性がみちていたのだ。
そんな事情を察してもらうには、この文が最適と思ったのである。
そのビッグ・バンはSF界のみならず、漫画、アニメ、ゲーム等に広く波及していったのだと思う。
いまや日本が世界に誇るほどにまで成長したジャパニーズコンテンツ群は、星新一によるビッグ・バンによって産み出されたのではないか。
関係者にとっては周知の事実であるが、日本SFの元祖は、SFマガジン創刊の2年前、1957年に創刊され、数々の著名作家を輩出したSF同人誌「宇宙塵」に始まるが、星新一はその創刊メンバーでもある。
星新一の作品自体の偉大な業績は論をまたないが、業界に与えたその功績も再評価されるべきであるし、日本のコンテンツ史を語るなかで特筆すべきだと、改めて思う。
それが、「星新一の内的宇宙」に込められた平井和正の想いでもある。
1962年にSF作家デビューした平井和正にとって、一まわり年長で同じ寅年の星新一は、憧れの大先輩だった。
仲人をつとめていただき、長男の名前「新(あらた)」は、星さんのお名前から一文字をいただいたそうだ。
(新氏ご本人に伺ったところ、小学校で名前の由来を発表する機会があり、両親より教えられたとのこと)
平井和正の星さんへの想いは「星さんへのファンレター」にたっぷりと書かれている。
機会があればぜひお手元の『おかしな先祖』の解説でご一読いただきたい。
「星新一の内的宇宙」は、『日本SF傑作選4 平井和正 虎は目覚める/サイボーグ・ブルース』(日下三蔵編/ハヤカワ文庫JA)、『悪徳学園』(ルナテック 電子書籍)に収録されている。
2021年5月
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