初めて星先生にお目にかかったのは、1970年8月30日。
EXPO'70で沸く大阪から上京して参加した「第1回国際SFシンポジュウム」(8.29〜9.3 科学技術館)の会場でした。
シンポジュウムのテーマは「SFと文明」。
小松左京さんの記念講演、アーサー・C・クラーク氏の講演「宇宙の約束するもの」も聞くことが出来ました。
また、参加できなかったレイ・ブラッドベリー氏から寄贈されたSF詩も、朗読されました。
質問の時間もあり、わたしはジュディス・メリル女史に質問しました。
わたし 「日本のSF作家・星新一先生、その人と作品について
一言お願いします」
メリル女史 「チャーミング! 日本語を勉強したら、すぐに彼の
作品を読んでみたい」
休憩時間には、持参していた『声の網』(1970.7.28発行)に先生のサインをいただきました。
そばにおられた、この本の装幀者・真鍋博さんにサインをお願いすると、真鍋さんは「星さん星さん、すごいね!」と声をあげてペンを走らせてくれました。
それから3年。
1973年4月28日。
林敏夫さんと星新一ファンクラブ「エヌ氏の会」を発足させました。
さらに5年の時が流れて、“夢の扉”が開かれたのです。
1978年7月。
星先生を主賓にお迎えして「エヌ氏の会フェスティバル 星コン'78」(7.22、23)が名古屋市で開催されました。
第1回星コンです。
「星コン(コンベンション)」は10回を数えましたが、わたしにとって、とりわけ第1回と第10回・最後の星コンが思い出深いものとなりました。
第1回の時、星先生は前夜祭に突然現れ、わたし達を驚かせまた喜ばせました。
その夜、何人かの会員と先生とともに、市内のビル屋上のビアガーデンに行きましたが、わたしにはそれ以上に、翌日のことが今でも信じられません。
川又千秋さんの案内でタクシーに乗り、昼食をとりにどこかのうなぎ屋に向かいました。
わたしは後部座席で星先生の横に――車内でどんな会話が交わされたのか、また何を食べお喋りしたのか…… もちろん、うなぎ屋さんの店名も全く記憶にありません。
1991年10月26日。
最後の星コンは、東京・品川プリンスホテル内の品川飯店で開かれました。
星先生は中華料理をお望みでした。
当日わたしは、林さんと、初めて戸越のお宅に先生をお迎えに伺いました。
わたしは、お土産に東大阪は星鶴醸造の「星つるぽんず こいくち醤油」をお持ちしました。
戸越のお宅は、相当高い階段を上がったところにあり、わたし達は赤褐色のレンガ造りの門柱の横で、記念に写真を撮り合いました。
星先生は、10回の星コンすべてに出席して下さいました。
少し照れたように話されるお姿、美味しそうにビールを口にされるお顔、優しい笑顔、座布団枕の寝顔……
先生を間近に拝見して、わたし達は、文字通り至福の時を過ごしたのでした。
2010年。
世田谷文学館で開催された「星新一展」(4.29〜6.27)をわたしは2度見学しました。
6月5日に企画された、文学散歩「星新一ゆかりの地を歩く」にも参加。
星薬科大学を見学のあと、戸越銀座を散策。
BOOKS「明昭館」、くすりの「川﨑薬局」、フォトスタジオ「三省堂」、「刑部医院」など先生の足跡をたどりました。
旧星邸にも足を運びましたが、そこにはマンションが建てられていました。
あの門柱にはめられていた「星新一」の表札は何処にいったのでしょうか。
わたしには、星先生からいただいた唯一の手紙があります。
前略
柴野氏より林敏夫氏への祝辞をたのまれましたので、一文を
書きました。もしお役に立つものでしたらご利用下さい。
星新一 |
林さんの結婚式で、媒酌人を仰せつかっていたわたしは、先生からお送りいただいた祝辞を、挨拶の中で披露し、林さんは勿論、参列者をあっと言わせました。
40年近くも前のことです。
祝辞がどんな内容であったのか、そこにはどのような言葉が散りばめられていたのか。
いやまてよ、確か天使とかエヌ氏とか書かれていたような……。
2013年9月
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