私は眠れない子供であった。
どうしてなのかはよく分からないが、ベッドに入って、目をつぶっても、意識が覚醒していて、眠りの世界に入っていけない。
仕方がないので、枕元に小さなスタンドを置いて、本を読んでいた。
暗いところで寝ながら読んでいるので、視力がどんどん落ちて、中学一年で眼鏡をかけることになった。
母がため息をついて言った。
「あなたは、これから一生眼鏡をかけるのね」
しかし、私は眼鏡どころの話ではなかった。
この頃から不眠に死の恐怖が加わったのだ。
死について考え始めると、どうしようもなくなった。
死というのは、死ぬのが怖いと思っているこの自分がなくなってしまうことだ、と考える自分がなくなってしまうことだ、……という無限の連鎖。
そんなときに読んだのが、星新一さんの「処刑」と「殉教」だった。
どちらも、星新一ファンだったら、ベスト10に入れるであろう傑作である。
「処刑」は殺人を犯した人間が別の星に送られ、処刑される話。
犯罪者には銀色の玉を与えられるのだが、その玉についているボタンを押すと、ジーッという音がして、玉に装備されたコップに水がたまる。
犯罪者はその水を飲まないと生き延びられないが、ある回数以上ボタンが押されると、内部の超小型原爆が爆発する。
爆発までの回数は当然のことながら犯罪者には知らされておらず、犯罪者は生きるためにボタンを押し続け、いつか自分の手で爆殺される。
苦しみ抜いた挙句に、主人公の犯罪者は、結局人間というのは、いつ現れるのか分からない自分の死を自分でたぐり寄せているのだという結論に達する。
「殉教」は死者と通信できる機械が発明され、人間の死への恐怖が解消されるという話。
人々は機械の前に列をなし、一人ずつ身近な死者と話をする。
それによって死後の世界が平穏であることを知った人たちが、機械の前でどんどん自殺をするので、機械の前には死体が積み重なっていく。
実は人間の生を支えていたのは死の恐怖だったのだ。
この二つの作品を読んだとき、私はこれまで生きてきた世界が変わったような気がした。
ただ怖いだけだった死に対して、親しみを覚えた。
しかし、興奮と刺激で、結局その晩は一睡もできなかった。
2018年11月
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