世界的ロックバンドQUEENのボーカル、フレディー・マーキュリーの半生を描いた映画が公開されている。
世間での評判の中には、もうこの世にいない創作者に出会ったことへの喜びや悲しみについて。転じて、創作者と同じ時間を生きることの価値について述べる意見を見かけた。
「必ずしも私には当てはまらないな」というのが個人の感想だ。
私の通っていた大学は、卒業論文の代わりに何かしらの制作を行わなければならなかった。
多くの学生が一から企画立案し完全な一次創作物をつくる中で、私は恐れ多くも星新一氏のショートショートをお借りする形で卒業制作を提出した。
卒業制作のテーマは、「長い年月をかけ、同じ物語と向き合う」こと。
その為に、反復して物語を読む行為の助長装置として、対象年齢の異なる2冊の星新一ショートショート集を制作した。
星氏の作品はそのテーマにうってつけだったし、なにより自分がそう長くない人生の中で氏の作品とは形を変え何度も出会ってきた。
他の制作テーマもあれこれ考えたが、学生最後の制作には自分にゆかりのあるものの方が良いだろうと思った。
冒頭の話に戻るが、私は「星新一と同じ時間を共有することなく生きている」ことに失礼ながら感謝すらしている。
私の生まれは1995年、氏の亡くなった年が97年であるから、上記には若干の誤りがある。
しかし、2歳の幼児が一作家の訃報報道の記憶を有しているはずもない。
極端な言い方に聞こえるかもしれないが、私にとって星新一は、歴史の教科書に出てくる偉人とかと同じようなカテゴライズなのである。
私が星新一の作品に強く惹かれたきっかけは、NHKで放送されていた『星新一 ショートショート』だった。
そのDVD同封冊子の制作者コメントには以下のように書かれている。
『(前略)、もっとも自身の作品の映像化に関して「俺が死んだあとなら文句は言わない」と言っておられたのですから、(後略)』
また、どちらで読んだものか失念してしまったが、生前は作品の映像化や他メディアの流用には反対していた、という旨が書いてあったのを覚えている。
どうしてもやるなら自分の目が届かないところで……。といった気持ちは創作者としてきっと順当な感情である気もするし、一方で、氏の懐の深さを感じさせる。
実は、星氏の作品を読んだのは小学生のころ、『きまぐれロボット』が最初だった。
しかし、NHKの『星新一 ショートショート』を観ていなければ、私の人生に星新一の名前が挙がることはその後なかったのかもしれない。
映像という比較的とっつきやすい媒体だったからこそ、もう一度ショートショートを読もうかなという気持ちになった。
何より媒体を変えても物語の魅力が失われることのない、土台の強さがそこにあることは言うまでもない。
今日、ひとつの物語をマルチメディアコンテンツとして商業展開する例は珍しくない。
また、そのマルチメディアコンテンツ化を嫌がるファンも少なくない。
しかし、彼が亡くなった後だからこそ、NHKでオムニバスアニメが放映され、私は星新一の魅力を再認識し、また学生生活最後の作品に氏のショートショートをお借りするという幸運を手にした。
ときを超えて、姿を変えて、同じ作品に巡り合うこと。
そのどちらにも価値があり、どちらにもそのときに巡り合わせた何かしらの縁があるのだと信じていたい。
2018年12月
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