私が勤務する星薬科大学は、星新一さんの父である星一先生が創立した大学です。
星先生は、1911(明治44)年に星製薬株式会社を設立し、社内に教育部門を設けました。
それが本学の起源となっています。本学は昨年、創立110周年を迎えました。
私が星新一さんの作品に出会ったのは高校生の時です。
予測のつかない展開の面白さに、夢中になって読んでいたのを思い出します。
作品で描かれた、常識を疑う発想や多面的な物の見方は強く印象に残り、30年以上経った今でも、その内容を鮮明に覚えています。
その後、再び星新一作品に出会ったのは星薬科大学に就職した時でした。
私は大学卒業時に就職せず、アルバイトをしながら資格試験の勉強をしていました。
何度かの挑戦の後、諦めて就職することにしました。
就職活動を始めて間もなく、購読していた新聞の求人欄で見つけたのが星薬科大学の職員募集でした。
藁にもすがるような思いで応募し、運よく採用されました。
入職してすぐに出会ったのが、星新一さんによる星一先生の伝記『明治・父・アメリカ』と『人民は弱し 官吏は強し』(ともに新潮文庫)でした。
星先生の生い立ちから、アメリカでの苦学、会社経営の成功と苦労などが生き生きと描かれていました。
大河ドラマのような波乱万丈の人生に、引き込まれて読んだのを覚えています。
志を持って努力を重ねられた星一先生の生きざまに感銘を受け、先生が創立された星薬科大学で働ける喜びを感じました。
勤務1年後には、大学の広報担当になりました。
業務を通して、星先生について多くのことを知る機会に恵まれました。
本学では星先生ゆかりの資料を数多く展示しており、国内外から様々な見学者が訪れます。
その中に、星先生の最晩年に、星製薬で10年間秘書を務めた方がいました。
その方は高等女学校卒でしたが、大卒の求人募集に思い切って応募し、採用されたそうです。
採用後は、星先生の意向で、働きながら夜間大学に通い、卒業されました。
その際、給料のほかに学費も支給されたそうです。
他にも星先生の考えや人柄にまつわる色々なエピソードを伺い、それまで本や資料を通してしか知らなかった星先生の存在が、より身近に感じられました。
星新一さんの本名である親一は、星先生のモットーである「親切第一」から名付けられています。
「親切第一」は星先生の人生哲学であり、1922(大正11)年には著書『親切第一』を発行されています。
今からちょうど100年前のことです。
著書の中で先生は、先ず自己に親切になれ、自己に対する親切の中で最も緊要なのは自己の健康に親切になることである、と述べています。
星先生は「親切第一」の実践として、製薬会社を設立し、その教育部門を大学まで発展させたと言えます。
星薬科大学は「親切第一」を教育理念として、人材の育成を行っています。
私も職員として、これからも微力ながらその一端を担っていきたいと思います。
2022年3月
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