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寄せ書き
小竹田夏「先達に倣う」
日経「星新一賞」優秀賞受賞者 |
私の大学では、外食で必ず後輩の分を奢るという不文律があった。
大学というと多少盛っているが、少なくとも学部内ではそうだった。
一学年百人の小所帯の学部で、縦の繋がりが強かったのだろう。
入学したての四月、部活やサークルの勧誘で、毎日飲食店に連れ出され、たらふくご馳走になった。
外食といっても安い定食屋がほとんどで、おまけに量が多い。
すぐに体重が五キロ増えた。
一年間みっちり奢られる経験を積んでいくと、だんだん気分が滅入ってくる。
今度は奢る立場になるのだ。
仕送りの身で、他人の面倒を見られるとは思えなかった。
いざ二年目の春がやってきて、浮き立つような、怖いような気分で、後輩を馴染みの定食屋に連れていった。
家庭料理そのものの定食を、後輩はガツガツと食らった。
いつもの定食がとてもうまそうに見えた。
レジで財布を取り出し、お金を出すのが妙に心地よい。
それは新しい発見だった。
大学を卒業して数年経った頃、御高齢の医師と話す機会があった。
その先生は、ハンセン病療養所で長く勤務されたという。
療養所に医師は一人。
内臓の不調であれ、筋肉や骨であれ、専門外でも診察したという。
その先生が療養所で勤務するに至ったきっかけをお尋ねすると、罪悪感とおっしゃった。
太平洋戦争で多くの仲間が死んで自分だけが生き残り、申し訳ない気持ちが消えなかったという。
残りの人生が大きく変わる出来事。
戦場でどんな生き死にを先生が目にしたのか、二十代の私には頭をひねっても思い描けなかった。
三十代後半になった私は、仕事で順調にキャリアを重ねていた。
そんなときに東日本大震災が起き、不夜城だった職場の明かりが消えた。
仕事もガソリンもなく、スーパーから日配品が消え、実家に避難することになった。
ストーブに当たりながら、原発の報道を見る。
目に見えない小さな何かが死神と化し、家々の玄関をノックする気がした。
社会の崩壊すら差し迫っているように思えた。
残りの人生、好きなことをやらなきゃ損だ。
その時期、世界が滅亡するかもしれない不安をやり過ごすために、手の届く希望が必要だった。
震災から数年で退職し、アイデアが降ってきて書いた物語は、星新一賞優秀賞となった。
授賞式で、参列した方々と名刺交換をさせていただいたものの、時間の関係で声をかけられなかった方もいた。
閉会となり、出席者が三々五々に会場を後にする中、私が最後にお声がけしたのが江坂遊氏だった。
いまさら紹介の必要もないと思われるが、星新一氏のお弟子さんである。
以来、江坂氏には締切ギリギリで作品を見ていただいたり、イベントに声をかけてもらったり、なにかと面倒を見てもらっている。
まるで大学時代に戻ったみたいだ。
江坂氏の面倒見の良さはどこからくるのかと考え、ふと師匠の星新一氏のことが思い浮かんだ。
星新一氏は、江坂氏に蔵書を譲り、仕事を回したと『星新一』(最相葉月・著)に書いてある。
師弟の絆がどれほど強かったのかは、直接的には知らない我々にも容易に想像できる。
江坂氏はしょっちゅう、メールに「そう言えば星さんも」「星さんなら」と書いている。
まるで昨日聞いたことのように、まるで星新一氏がまだ生きているかのように。
後輩を世話するような物書きに、いつか私もなれるのだろうか。
***
小竹田夏は二人の共同ペンネームだ。
小竹田というのは、まず二人の苗字から一文字ずつをとって竹田となり、それではいまひとつ面白くないので、ネットを検索して小竹田と書いて「しのだ」と読むことを知り、小竹田とした。
私は小竹田(女)であり、もう片方が上記の寄せ書きを書いた小竹田(男)だ。
二人であることもペンネームの中で強調したかったのだが、良い案が思い付かず、とりあえず中性的な名前にしたのだった。
苦し紛れに、小竹田夏のメールアドレスはshinodana2で、うまいこと2の数字を入れることができた。
このペンネームは、「Q.E.D.の後で」を第5回星新一賞に応募し、優秀賞に選ばれるという段になって、あわてて作ったのだ。
その時の授賞式の後で知り合った江坂先生をはじめ、その後も様々なご縁に助けられ、今でもこの名前で執筆を続けている。
ところで、星新一賞に入賞した際の小竹田夏のプロフィールには、「国立理系大学卒業。博士課程修了。公務員を経て、現在フリー」とある。
これは私ではなく、小竹田(男)の経歴だ。
小竹田(男)の詳細な経歴は、そのうち彼が明かす機会があるのかもしれないが、小説よりも奇な世界に身を置いていることはしばしば聞かされている。
一方、小竹田(女)は、文系のただの会社員だ。
今も昔も世俗の中で生活している。
このあいだ、女性トイレのトイレ用擬音装置(音姫など)を小説に登場させた小竹田(男)に、いくら女性がトイレでむしゃくしゃしても足で壊すことは難しいことを教えてあげた。
やるならひじだ! 彼も私からいろいろ学んでいるに違いない。
星新一賞なかりせば、なにより小竹田夏自体存在していなかった。
そして小竹田両名にとって上記のような日々の発見はなかったかもしれず、作品のなかで音姫を足で破壊し続けていたかもしれないのだ。
勝手ながら星先生に導かれたご縁を感じずにはいられない。
2022年4月
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