講談社の「星新一ショートショートコンテスト」で10人の入選者の中に選んでもらい、星さんに初めてお会いしました。
1979年の初回。ぼくが23歳の時です。
ぼくたち若者10人は、『星新一と一緒に行くカイロ〜パリ〜ウィーン〜ロンドン11日間の旅』という超豪華な賞品で一緒に旅行ができたのですから、こんな幸せなことはありません。
この旅の中で聞いた星さんの言葉はたくさんあって、その後何度も思い出します。
「そりゃあ、運ですよ」
多くの応募作の中から「なぜぼくのものが選ばれたかわからない」と話した時の、星さんの言葉がこれでした。
たしかパリのレストランで、です。
おそらく普通だと、アイデアがいいだの、文章がうまいだの、お愛想の言葉を並べたりするんでしょう。
でもそんなことはせず、
「五千もの中から選ばれるんですから、そりゃあ、運ですよ」
とアッサリおっしゃった。
(あ、そうか。運か。運だよなぁ…)
その一言で、「有名な小説家の先生と話すのだから」と身構えていたぼくの心が、フッと軽くなったのをよく憶えています。
ぼくはそれまで、自分は運のない男だと思っていたので、星さんの言葉で救われた気もしました。
あとで星さんの講評を読むと、選考がそれはそれは大変で、何度も読んで、選んで、無理矢理落として…を繰り返し、ようやく10編に絞ったのだと知りました。
入選者と、あと一歩の方たちを分けたのは、たしかに運だよなぁと思います。
「そういう人間は、作家になるしかないですなあ」
ぼくが学生の頃、好きな本から気に入った表現を抜き出してノートに書き写したことがあると話した時の、星さんの感想の言葉です。
ぼくは文学青年ではないので、小説についてはそれくらいしか話すネタがなかったのです。
そんな人間がたった1作入選しただけなので、ふつうは誰も「あなたは作家に向いている。なりなさい」とは勧めません。
だから、星さんの言葉もそういうつもりではなかったと思います。
たんに人間のタイプの話をしただけでしょう。
でもぼくはあえてこの言葉をそのまま真に受けて、というか曲解して、勘違いすることに決めたのです。
その場で。(よし。星さんがそう言うんだから、作家になろう)と。
星さんはそう言ってはなかったんですけど…。
ここで、ぼくの人生の軌道がカチリと音を立てて変わりました。
この他にも、多くの言葉が記憶に残っています。
星さんはもちろん、ぼくたちに教訓めいたお話はなにもしません。
けれどそこから勝手に、ぼくはある種の「おしえ」を感じていました。
シンプルな言葉で本質を突くのが星作品の特徴なので、それは普段のちょっとした言葉にも表れる。
星さんの言葉には、そういう魔力があるんだと思います。
「寒いでしょう。これをあげましょう」
とはいえ、これは普通の言葉。
でも、ぼくには思い出深いのです。
旅行は3月末。
たしかウィーンでは、少しだけ雪が残っていた記憶があります。
ヨーロッパの気候などわからないぼくはハーフコートのようなものを着ていましたが、それでは少し寒かったのです。
旅の最終日はロンドンでした。
星さんは現地でコートを買い求めたので、それまで着ていたコートが不要になります。
そこで、ふとぼくの方を見て言ってくれた言葉がこれでした。
ご存知のように星さんは背が高い。
一緒にツアーしている入選者10人の内、男は5人。
その中で背格好が似ていて、終始寒そうにしていたのがぼくだったので、かわいそうに思ってくださったのでしょう。
ぼくはもちろん「ありがとうございます!」と遠慮なくいただきました。
ステンカラーでベージュ色のベーシックなコート。
とても嬉しかった。
もちろんそれはずっと大切に、今も持っています。
この旅行で、ぼくは星さんから聞いたたくさんの言葉と、そしてコートと、いわば物心両面で大切なものをもらったことになりますね。
おかげで、曲がりなりにも何かを書いてこれまで生活してこれたのですから、星さん、本当にありがとうございました。
最後にもう一つ。
二日間のウィーン観光を終え、最終日のロンドンに行く日。
ウィーンの空港に向かうマイクロバスに乗る時、星さんは近くにいたぼくにボソッと言ったのです。
「とうとう、カンガルーを見ませんでしたな」
実はこれが、最も印象に残った星さんの言葉です。
教訓めいたものはどこにもありませんけど、ぼくにとっては一番好きな言葉です。
2018年7月
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