父はいつも夜遅く仕事をしていたので、小さい頃は原稿を書いている姿を見たことがなかった。作家というのは、ほとんど働かなくてよい職業なのだと思っていた。起床時間、お昼。起きてすぐはあまり頭が動いていないらしく、ソファに横になっている父に何かを聞いても、「うー」とか「むー」とかいう返事が返ってくるだけだった。
高校生になって、父が原稿を書く姿をときどき見るようになった。例えばテストの前の日、夜中になってからわからないことが出てくる。書斎に行くと、父は机に向かってやたらシャキッとしている。質問をすると、百科事典を出してその項目のページを開いてくれる。私が、「えー、こんな長いの今から読んでる時間ないよ」と文句を言うと、数秒目を走らせたあと、「ほら、ここに書いてあるよ」と重要な部分を教えてくれるのだった。
そういうときの父は、脳が絶好調という感じだ。
いつ書斎に入っていっても、不思議なことに、「今忙しいからあとで」とか「普段から勉強しないからダメなんだ」というようなことを言われたことはなかった。
今から思えば、夜中限定の「動くグーグル」みたい。
私は書斎のドアを閉めて自分の部屋に戻りながら、「普通の家では、夜中にわからないことがあるとどうしているのだろうか」と素朴な疑問を持つのだった。
そんな父は、明け方になると冴えた頭を静めるためにお酒や睡眠薬を飲んで布団に入る。父が眠りにつく頃、母がお弁当や朝ごはんを作るために起きてきて、少し遅れて私と姉の1日も始まるのだった。昭和の東京にあった、眠らない家の話である。
2008年7月
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